こんばんは。
人生を振り返った時、そこに見えるものは何だろう。
ブログのタイトルは大袈裟なものですが、ブログの内容はそんな大袈裟ではありません。
今年の誕生日を迎えた時、自分の人生を振り返ってみました。
大して立派な人生でも、誇れる人生でも、自慢できる人生でもない僕の人生。
小さな頃は、ずっとないものねだりの毎日でした。
僕は裕福な家庭に生まれた訳ではないので、いろいろ不自由、我慢がありました。
例えば、友達が持っているおもちゃ、僕は買ってもらえなかった。
買って欲しいと言っても、買ってもらえない事はわかっていました。
頭の中で、そのおもちゃを使って遊んでいる空想、妄想、想像をしていました。
だから、こども心に、いつかお金持ちになって、おもちゃを買いたいと思っていました。
今も、お金持ちにはなっていないけど…
それ以外にも、ないものねだりをしていた毎日。満たされない心。
若い頃、僕はいろいろな事が不器用でした。
生きる事、人間関係、恋愛、仕事、勉強、すべてにおいて、うまくいかなかった。
いろいろな事で躓いた。失敗した。悩んだ。しんどかった。
自分では、ちゃんと真っ直ぐ、真面目に、一生懸命生きていましたが…
僕は無知で、要領が悪くて、経験不足で、馬鹿だった。
その分、かなり傷ついた。精神的にも辛かった。そのため、自分のまわりの世界が怖かった。
そして、いろいろな挫折とたくさんの失敗、長く辛い苦悩の日々を過ごしながら、今日に至る。
この年齢になって、ようやく自分の身の丈に合った生き方が出来るようになったと思う。
ようやく自分らしく生きているように思います。
仕事も出来るようになったし、私生活も充実しています。
小さな頃にしていたないものねだりは、出来るだけしないようにしています。
「ないもの」に心と気持ちを注いでも、何も生まれて来ないから潔く諦めて…
「あるもの」に心と気持ちをt注いで、人生の喜びを得ようとしています。
そして、今までの挫折、失敗、躓き、悩み、苦悩があったから、今の僕の人生があります。
かなり遠回りしてしまいましたが、ようやく辿り着いた生活です。
自分の人生は、書き換えられませんが「あの時、もしも…」って、思う事があります。
もしも、挫折、失敗、躓きがなかったら、人生を器用に生きていたら…
もっと幸せになっていたかもしれません。
いや、それは違うかな!?
生きるのが不器用なため、いろいろな事を失くしてしまった僕かもしれませんが…
だからこそ、今の僕の人生がある。かっこ悪くても、僕の人生です。
ただ、変わらないのは、僕はいつでも真っ直ぐ、真面目に一生懸命生きているという事。
人生の折り返し地点を越えた僕。
人生の後半も、このままの調子で、このリズムで、自分らしく、笑って人生を歩もうと考えます。
躓いても、挫折しても、失敗しても、悩んでも、しんどくても、僕の人生だ。
命ある限り、生きていこう。
生きているうちが華だから…
誰のためでもなく、自分自身のために生きよう。
今日から、明日からも…
また…