地下鉄MM線「日本大通駅」に直結した「横浜都市発展記念館」という建物があります。
銭湯好き仲間より、紹介していただき、ここで開催している「能登半島と横浜 銭湯がつなぐ人々の交流」展へ行ってきました。
能登半島といえば、今年のお正月に大変な地震災害があり、自民党政権に見捨てられて、ほったらかしにされて、復興がなかなか進んでいないところに、今、また、大雨の災害が発生し大変なことになっています。そんな状況下、海外旅行に出かける総理大臣って、人でなしだと思います。「国を守るためには自衛隊の拡充だ。武器をもっと買え」とか言ってないで、国を守る気があるなら、自国民の生活を守ってほしいです。
さて、今回の特別展示なんですが、注目は「銭湯」。
最初、「能登半島と銭湯が何の関係があるのか?」と疑問に思ったのですが、展示を見て、意味がわかりました。
「関東地方の銭湯の経営者は、石川県・富山県・新潟県の出身者が多い」
「横浜の銭湯に関しては能登半島の出身者が多い」
「戦後~昭和30年代までは、銭湯が今の十倍くらいあって、お客さんがいっぱいいて、”背中流し””子どもの面倒”など、銭湯内では仕事がいっぱいあり、今のような家族経営ではなく、多くの従業員を雇って運営していた」
「その従業員は、経営者の出身である能登半島から親戚知人を呼んで雇っていた」
ということだそうです。
そして、銭湯隆盛期は銭湯経営で財をなした人が、故郷の能登に多額の寄付をしていて、それが、神社などの石碑に刻まれて、今に至るも、その記録が残っている。しかし、今回の震災で、その石碑の多くが倒壊してしまった。
という経緯でした。
現在、横浜市には47の銭湯が残っています。(全店入湯済みです) この中の大部分が「能登出身者にルーツを持つ経営者」だそうです。
実は私も、横浜の銭湯に入って、「壁画が、なぜ富士山ではなく、能登半島の見附島なんだろうか?」と疑問に思ったことがあります。また、「珠洲市」の観光ポスターが貼ってあることもあり、「これって、風呂上がりで火照った体を”涼しい”ようにしてくれるって、ダジャレなのか?」なんてことを考えたりしたんですが、能登出身者だったからなんですね。ようやく、長年の疑問が解決しました。
横浜の某銭湯の経営者さんの結婚式の写真を撮ったこともあるんですが、その人のルーツも能登でした。
4階の展示では、隆盛期の銭湯の忙しさや、毎日深夜に行われる「閉店時」の清掃の様子などの貴重な写真の展示があり、これも素晴らしかったです。
横浜の銭湯好きとしては、非常に興味ある有意義な展示でした。
※今回の大雨の大災害、これもほんとに甚大な被害で、心が痛みます。国は最大限の復興援助をお願いします。