先日、偉大なるカメラマンである「篠山紀信さん」が亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします。

 

篠山紀信さんというと、こんな話を思い出します。

 

昔見たテレビで、篠山紀信さんが、「素人に完全に負けたことがある」と言ってました。

 

篠山紀信さんといえば、女性ポートレートの第一人者ですが、その人が、完全に脱帽したカメラマンがいるのです。

 

それは、女優宮崎美子さんの写真に関してで、篠山さんは、芸能界にデビュウする前の宮崎さんを使った、雑誌の表紙の写真を撮影したのですが、篠山さんが何枚撮っても、「宮崎さんが応募書類に同封したプロフィール写真」のほうが良かったらしく、「完敗だ」と、負けを認めたそうです。

そんな話を聞いて、「熊本の地元の写真館にすごい腕のいいカメラマンがいたのだろうか?」とか、浅はかな私は考えたわけですが、実際は・・・・・

そのプロフィール写真は、写真館とかではなく、宮崎さんに頼まれた、ど素人のカメラマンが、近所の公園でパパっと撮っただけの写真でした。

でも、その写真の中の宮崎さんの表情がすばらしく、篠山さんが「完敗」してしまったのです。

なんで、そんなに「表情が素晴らしかった」のか???

その答えは、その素人カメラマンが、当時の宮崎さんの彼氏だったからなんです。

私も、婚礼カメラマンの世界に長年いましたからよくわかるんですが、「愛し合っている同士じゃないと出てこない表情」というのがあります。
どんなに、一流の腕のあるカメラマンでも、そういう表情は、初対面で引き出せるものじゃないんです。

私は昔から、こういう考えを持っていて、自分のHPの中でも、「他人であるカメラマンには限界があります」という、断り書きを掲載しているのですが、この理論を、篠山さんが肯定してくれて、うれしく思いました。

あんな超一流の人でも、「素人に負けた」と素直に認めさせる写真が、恋人同士だと撮れるのか、と感心したわけです。

 

 

似たような話で、作家の向田邦子さんのことを思い出します。

あるテレビ番組の中で向田さんを偲んだ際、「向田さんは残っている写真が多すぎる」「写真の中の向田さんの表情が良すぎる」という話で盛り上がりました。

 

この理由は、向田さんの恋人(※不倫関係だったので結婚はしていない)がカメラマンだったということ。

相手が恋人だからこそ現れる特別な表情が、素直に写されているわけです。

 

このことは私もわかってまして、婚礼写真の現場でも、そのことについて考えたことがあります。

いくら、一流のプロカメラマンが「新婦」のことをきれいに撮ろうとしても、どうしても限界があります。それは、そのカメラマンとの関係でして、あくまでも「その日が初対面」「他人」であるカメラマンに対して出さない表情というのはあるのです。(当然といえば当然ですよね)

 

そこで、私は、挙式前の「館内ロケ」の時などに、時間の余裕があると、「新郎さんに私のカメラを預けて、シャッターボタンを押すだけで写るような設定にして、自由に新婦の姿を撮ってもらう」という手法を取ることがありました。

 

 

こういう感じです。

 

別のプロカメラマンからは、「プロの大事なカメラを素人に預けていいのか、だめだろ」とか「そんなの無駄だよ」とか批判されたこともありますが、この「新郎が自分で撮った新婦の写真」というのは、フレーミングとかはたしかにおかしいのですが、新婦の「表情」に関しては、「これは絶対にプロカメラマンには撮れない。新郎にしか見せない表情なんだな」という素晴らしいものが撮れることが時々あるのです。

こういう写真を上手にトリミングして、あとで制作するアルバムの中に2~3枚入れると、いいアルバムになるんです。

 

なので、当時は、新郎に貸せるように配慮した、「重くない」「簡素なレンズをつけた」「落として壊れてもあきらめがつくカメラ」を、それ用に用意していたこともあります。