今、静岡市さんが募集を始めた「ボランティアの市民カメラマン」に関して、あれこれ議論が行われているので、それに関連して、ひとつ書いてみたいと思います。
「ボランティア活動」という横文字。すっかり日本でも定着していますが、日本では本来の意味ではない、間違った意味が定着してしまった気がします。
「ボランティア」という言葉は、本来は「志願して****する」という意味で、「徴兵ではなく、自分で志願して戦争に行く」とかで使われていました。有償や無償かは関係ありません。ですから、会社員が会社の中で給料をもらいながら、「今度新しいプロジェクトを始めるんだが、これに参加したい社員はいるか?」と言われた時に、「はい、私、やります!」と手を上げるのも「ボランティア」なんです。
でも、日本では「無償でやること」という意味に変換されてしまいました。
この「誤用」のために、私も過去にトラブルに巻き込まれたことがあります。
「ボランティア活動」という言葉が、市井に広く出てきたのは、「阪神大震災」の時だと思います。
私らカメラマン業は比較的時間の自由がきく仕事なので、阪神大震災後、田中康夫さんを始め、いろいろな人が復興ボランティアの活動をしているのを見て、「自分も何かやろう」と思い、ちょうど、地元横浜市で募集していた「福祉ボランティア」の団体に加入しました。
この団体は、主たる活動は、「高齢病人の病院への通院&介助」(※この団体専用の「車椅子を運ぶことができるワゴン車」を保有していた)で、その他、「何でも屋」みたいなこともしており、「粗大ごみを回収場所まで運ぶ」「家の中のちょっとしたバリアフリー工事をする」「屋根の下にできた蜂の巣の除去」などなど、いろいろな活動をしてました。大変ですが、楽しい面もあって、できれば、長くやりたいと思っていました。
さて、この団体なんですが、「お金」に関して、この組織を立ち上げた創設者の考えはこんなかんじでした。
◎「ボランティア活動」という名前だが、完全無償というのは本来のボランティアではなく、おかしい。
◎「交通費」「材料費」などの必要経費は支給すべきだ。
◎最低賃金まで払う余裕はないが、時給500円程度の報酬は払うべきだ
◎上記費用ははっきり明記して利用者からもらう。ただし、これとは別途の「お礼」とか「寸志」みたいなものはもらわない。
というものです。私はこれに賛同しました。
報酬まで欲しいとは思っていませんでしたが、「交通費」とか、「なにかものを作る際の材料費」などの必要経費を団員が自己負担するのはおかしいと思っていました。
実際にやってみて、「1時間500円」という報酬は、「労働の報酬」として少なすぎるが、「2時間で1000円」であり、「お昼ご飯代にちょうどいい」と思われ、「お弁当を支給してもらった」みたいな感覚で、「絶妙な金額設定だな。これだったら、団員のみんなも負担がなく、自腹を切ることもないし、長続きできる」と思いました。
利用者の立場になってみても、「無料ですよ」と言われても、「なにかお礼をしないとだめですよね」と思うのが普通の感覚であり、家の中での作業なら「お茶とお菓子くらいは出さないと」とか思います。「お礼って、いくらくらい包むのがいいんだろう」なんていう配慮もしないといけません。これって、けっこうな心労になります。そういう心配をさせないために、「一切のご配慮は不要です。材料費と、1時間あたり500円の料金をいただきます」というルールにしてたのは、素晴らしいと思いました。
さて、この団体の創設時は人数も少なく、創設者のこの考えをきちんと理解し賛同した人だけ入会してきたのですが、組織が多くなると、「潔癖主義者」が現れました。
「ボランティア活動というのは、完全無償で行なうものだ。報酬なんてとんでもない! 絶対に受け取ってはいけない。交通費も材料費も全部自腹を切るのが、ボランティアだ!」
と言い出して、この団体のお金に関する方針に異論を唱えたのです。この人自身は「某一流企業のOB」で、当時のことですから、すごい金額の年金をもらっており、お金持ちだったのです。でも、団員の中には、私のような貧乏カメラマンもいたし、カツカツの年金で暮らしている人もいたし、「材料費とか自腹切ったら、こんな活動できないよ」「安物の材料使ったら品質が落ちて相手に悪いし」という人が多かったわけでして・・・・
潔癖主義者の人が複数に増えて、そして、活動現場でも、利用者が「これ、規定のお金です」と渡してきても、「私はいただきません!」と拒否して、利用者が困ってしまったり、団員の中でも「ボランティアは無償だ!」「いや、ボランティアにはそんな意味はない!」という論争が起きたりして・・・・・・
果ては「報酬と経費をもらったメンバー」に対して、潔癖主義者が「お前、そのお金、返してこい!」と脅迫したり・・・・
なんか、楽しい活動だったのが、ギスギスしてきまして、それで脱退した次第です。
団員の皆さんは基本皆さん「いい人」ばっかりなんですが、「お金に関わること」「主義主張に関わること」というのは、いったんこじれると、悪い方向にいくものです。
こんな経験があるため、私は「ボランティアは無償という意味ではない」という点だけは強く言いたいと思います。
「完全無償」「必要経費は自腹」という手法では長続きしませんよ。
というわけで、話を静岡市のボランティアカメラマンに戻しますが。
結論から言うと、「すごくいいアイデア」だと思います。
市内のイベントや風景を市民カメラマンに無償で撮ってもらい、市の広報などで使わせてもらう。
まあ、我々プロにはつらいことですが、今は行政も倹約しないといけないので、カメラマン費用が無料なら助かるわけでして。
そして、今は、高級なデジカメを持っている人がいっぱいいるし、スマホのカメラの性能もすごくよくなっているので、アマチュアカメラマンでも素晴らしい作品が撮れる時代です。
写真を趣味にしている人が大勢いますから、こういう募集をすれば、応募もたくさん来るでしょう。
そして、アマチュアカメラマンは「自分の写真を見てもらいたい」という考えが強いわけで、自前で写真展とか開催すれば、莫大な費用もかかりますが、市がただで広報とかに使ってくれたらうれしいわけでして。
おまけに、市のほうで「保険」にも入れてくれるそうで。
ウィンウィンじゃないでしょうか?
そして、今回の静岡市がうまいなあと思ったのは、そういう「市民カメラマン」さんに、最初に「プロカメラマンによるセミナーに参加してもらう」という企画であること。
普通、プロの講師に教わるなら有料ですが、これだと無料でプロの指導が受けられます。これはありがたいはず。
そして市側も、アマチュアカメラマンの中には、とんでもないひどい写真を撮る人も多い中、「セミナー」は「研修」みたいなものですから、これを受講してもらえれば、一定レベルの作品の質も担保できるわけで。。。。
素晴らしいんじゃないでしょうか?
この件に関して「ボランティア活動なら、講師のプロカメラマンも無報酬だよね」とか批判している人がいましたが、それは、おかしな話で、プロが講義をするのに無報酬でいいわけないでしょ? 講義用の写真を撮るかもしれないし、見せる写真の準備やテキストの作成やら、必要経費もかなりかかるはずで、そういうのは市が負担すべきものです。プロをただで使おうなんて、ふざけるな!って話です。
ちなみに、「市民カメラマンは無報酬」だとしても、市のほうで「今度、常盤公園でイベントがあるんだけど、Aさん、そこに行って撮影してくれませんか?」と「依頼」した場合は、「交通費」と「昼食代」くらいは支給すべきものだと、私は思います。
「自分が好きで撮りに行った」ものと、「市から頼まれて撮りに行った」は区別すべきと思います。
以上、すべて個人的な意見です。
皆さん、異論はあると思います。