撮影の仕事が「緊急事態宣言」のために全部飛んでしまいまして、写真に関するブログが全然書けない、今日この頃です。

 

NHKラジオの「聞き逃し番組」で

「山形ひるどきラジオ なにしったのや~?」

を、聞いていたら、柴田アナが「長井市の市役所が新しくなった」というのを放送していました。
さっそく、ネットで見てみると、ほんとにすごい立派な庁舎に変わっていました。
そして、特筆すべきことは、この市役所、山形鉄道の「長井駅」と合体した建物だということです。
というわけで、鉄道マニアの間でも話題になっているそうです。
 

 

 

 

 

 

 

詳細は、こちらのyoutube映像をご覧ください。

 

ほんと立派な建物で、人口27000人の街で、こんなにすごいものを作って、大丈夫なのかなあ? と心配になるほどです。

 

 

さて、新しい駅舎ができたということは、「以前の駅舎が取り壊された」ってことでして。

 

それを検索してみると、

 

「さようなら長井駅」というブログ記事がありました。

 

以前の長井駅の写真がいっぱいあります。

山形県をルーツに持つ人間としては懐かしいものばかりです。

 

それを見ていたら、自分が長井駅に行った時のことを思い出しました。

 

 

時は2004年の元旦。

当時、JRでは、「正月パス」という割引切符がありました。元旦の1日だけ使える切符なんですが、新幹線も含めたJR東日本全線を1万円ほどで乗り放題の切符のため、「乗り鉄」にはたまらない切符でした。

 

私はこれで山形の祖父母に会いに行くことにしました。そして、通常なら山形新幹線を利用するところですが、それでは面白くないので、変わったルートで行くことにしました。

 

まずは上越新幹線で新潟に行き、米坂線で「今泉」まで行きます。

ここで、山形鉄道(=フラワー長井線)に乗り換え、長井駅に向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

長井線の終点は荒砥駅で、荒砥駅まで行ったほうが、祖父母の家に近いのですが、バスの乗り換えの関係で、荒砥の手前約10キロのところにある「長井駅」下車します。

(しかし、これが大失敗だった)

 

 

 

除雪機

 

 

 

さて、長井駅で降りて、バス停留所へ行きます。

 

しかし・・・・・・・・ なんと・・・・・・・・・・・

 

1月1日は、バスは全便運休

 

 

だったのです。

バスに関しては、しっかり事前にバス会社に電話をかけて(※当時はまだバス会社レベルではHPがなかった時代です)、1月1日のダイヤを確認していました。こっちはちゃんと「元旦に行くのですが」と伝えたのですが、応対したバス会社の社員さんは「元旦は休み」というのを忘れていたようです。というか、「元旦は休むに決まってるだろ」という意識だったのかもしれません。

 

都市部の人間にとっては「バスが元旦に運休する」なんてことは想像もつきませんから、「え? 元旦だけ休みなの~」と、茫然自失、その場でへたりこみます。

 

ここから、家までは約20キロあります。

長井駅に戻って、鉄道に乗りなおすと、終点の荒砥駅まで行けて、そこからだと家までは10キロの距離に短縮されます。

しかし、次の列車が来るのは1時間半後です。

 

その時に考えたのは、「ヒッチハイクしよう!」ということ。

「山形の人は、心の温かい人が多いから、きっと誰かが乗せてくれる。ずっと一本道だし、家の近くまで乗せてもらえるだろう」

 

しかし・・・・

 

 

 

もともと車の量が少ない上に・・・・・  山形県民はそんなに温かい人ではありませんでした。

というか、見知らぬ人への警戒心が強いということかもしれません。知ってる人には親切なんですけどね・・・・

 

いくらを手を挙げても、無視されました。ヒッチハイクは失敗です。

歩くしかありません。

 

携帯で、車を持っている親戚に電話をかけようとしますが、「圏外」でつながりません。

 

仕方ないです。速足で歩きます。

 

 

幸い、1月だというのに、この年は雪がほとんどありませんでした。本当は豪雪地帯なんですけどね。

 

 

途中で、「源蔵そば」さんの案内看板がありました。全国的に有名なお蕎麦屋さんです。

実は親戚です。

 

これは40年ほど前の写真ですが、左が源蔵さんです。右は私の親戚である奥さんです。

※お二人とも亡くなり、今は、息子さん(四代目)が後を継いでいます。

 

よかったら、このブログもお読みください。

 

さて、話は戻ります。

 

 

途中、ふたつの長大トンネルを通るのですが、合計3キロを超える、すごく長いトンネルです。こんなところを歩く人など皆無です。歩道部分も狭く、とても怖かったです。

 

何時間歩いたでしょう。トンネルを抜けたところで、ようやく、携帯の電波がつながり、親戚に連絡をとって、車で迎えに来てもらいました。

 

 

そして、やっとの思いで、祖父母の家(上山市狸森 無着成恭さんの本「やまびこ学校」で有名なところです)に到着しました。

 

 

 

 

当時健在だった祖父といっしょに「大変だったなあ」とビールを飲みました。

 

長井駅ということ、こんなことを思い出します。昔話でした。

 

 

 

皆さん、山形鉄道 乗ってくださいね