博物館シリーズの続編です。今回は、栃木県佐野市(合併前は葛生町)のある「葛生化石館」さん。

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葛生は昔から良質の石灰岩の取れる産地であり、大きなセメント工場もあります。
石灰岩というのは、古代の生物の死骸が固まったものであり、ここには、昔、ゾウやサイも住んでいました。そういう化石もたくさん取れます。というわけで「化石」の展示をしています。


ブライダルスナップ写真 必撮仕事人 雫写真事務所(横浜) カフー・アラシミソーリ 

入り口には、ティラノサウルスの模型


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博物館の外には、巨大な「石筍」が展示してあります。


さて、この博物館の中で発見した印象深い展示が、「葛生原人」に関することです。
葛生原人って、知っている人、いますかねえ?
昔、小学校の教科書に載っていました。「日本にも、50万年前に人が住んでいた証拠の骨が出土した。日本にも古代人がいたんだ」というものです。

1950年(昭和25年)、吉沢石灰株式会社第10採掘場で右上腕骨が発見され、 翌年末までに計8点の人骨が出土。
1952年(昭和27年)、早稲田大学の直良信夫教授が、左大腿骨下端部の調査により 「葛生原人」と命名。


こうやって、学校の教科書にも載るような「大発見」ともてはやされたのですが、以前、

ところが、平成12年に世間を騒がせた「石器捏造事件」をきっかけに、新技術で再調査したところ、

2001年(平成13年)、お茶の水女子大学の松浦秀治教授が葛生原人を フッ素年代測定法で調査したところ、 人骨ではないものも含まれ、人骨も室町時代程度のものである事が判明。

という、オチがありまして、葛生原人は、消滅しました。

この一連の経緯が、ここ「葛生化石館」に書いてあったのです。2001年の再調査のことを知らなかった私としては大ショックでした。

しかし、地元では、「消えた葛生原人」のショックをはねのけ、(というか、もはや、ヤケクソ) いまだに、「葛生原人まつり」というのをやっています。

公式H

今年の目玉は、「中西圭三さん」のコンサートなんですが、久保田トシノブと並ぶ、「原人顔」の中西さんを呼ぶとは、なんというセンスでしょう。これに、栃木出身のガッツ石松を呼べば最強だなあ。

なお、東武線葛生駅の前の道路は、「原人ロード」という名前になっています。

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原人はうそだったことが判明しても、まだ、この名称なんだなあ。いいのかなあ?