明日から再び戦場に。

先月(12月)も、この年末年始に体調を崩すほどのスケジュールで、

正月明けてもしばらく、心身ともになかなか立ち直れずにしんどかったが、

また明日から2月末まで、めまぐるしい日々が続くことになる。

体調もいまだ本調子ではないと思えるのは、年齢のせいなのか・・・。

だが、そんなことを言っている猶予は無い。


♪が~んば~ろう~!突き上げる~空に~!
 闘いはここから~、闘いはいまから~、オウッ!


共産主義も、赤旗も、左翼も、右翼も、労組も、春闘も、安保も、

何のことだかさっぱりわからないまま覚えさせられた小学生の頃に、

デモ行進をしながらよく歌った労働歌を口ずさみながら、

明日からの戦闘モードに入っていこう。
連日お仕事で、ブログ更新する時間が無い・・・。

新年早々、ここが踏ん張りどころ。


って、この先どうなるんだ。
仕事が追いつかない。

はてさて、困った。

どうしたものか・・・。
ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」という、

甘い旋律のピアノ曲がある。

心安らぎたいときに時々聴く曲だ。



画像、リンクはYouTubeより、ドビュッシー「亜麻色の髪の乙女」


フランス近代作曲家を代表するドビュッシー。

絵画の表現形態とその時期を同じくし、

音楽の世界で「印象派」と称された作曲家だ。

今でこそ「印象派(あるいは印象主義)」という言葉は定着しているようだが、

1800年代後半の画家や音楽家は、

「印象派」と呼ばれることに抵抗を示していたようだ。

明らかな軽蔑と揶揄の意が込められていたからだ。

何をもってして「印象」なのかは判らないが、

画家モネの「印象・日の出」という作品が、

その由来になっていることは有名な話だ。


だが、軽蔑、揶揄されるものは、

新しい表現方法に対して向けられることが多い。

既存の安心感を壊され、不安に掻き立てられる居心地の悪さが、

軽蔑や揶揄になる。

新しいものが生まれるとき、

そこには必ず絶賛と軽蔑の論争が起こる。

フラン近代の芸術家達の表現活動は、

既存の概念を打ち壊し、次々と新しい表現方法に挑戦していった。



「やってはいけないことはない」と、教えてくれる。