純米酒だったら翌日は全然平気なのに、
昨夜、宴会場には好きじゃない発泡酒しかなくて、
口直しに居酒屋に入って、
一杯だけ飲んだ日本酒が醸造アルコール入り。

気持ち悪くて、今日は洗濯以外なんにもしません。

う~~~、きもちわるい~~~。

はやく立ち飲み純米バーに行こう~!

yata

備忘録だから、忘れないためにも書いておこう。

初めてその方にお会いしたのは1991年12月。

東京のとある場所のロビーで、
作家とふたりでソファにふんぞり返って、
タバコなんぞ吹かしてくつろいでいると、
ディレクターが、雰囲気のある年配の紳士を紹介してくれた。
「藤本先生ですよ」
ベレー帽をかぶったその紳士は、まさに雰囲気たっぷりで会釈された。

藤本先生・・・どなただろう?

恥ずかしながら、私はその方のお仕事の世界に疎く、
ディレクターがわざわざ紹介してくれるほどの方なので、
それなりに特別な方なのだろうなと思いながらも、
ソファに座ったまま「はじめまして」と素っ気無く挨拶を返してしまった。
隣にいた作家は満面の笑顔でその紳士を迎えて喜んでいる。
作家はどうやら面識があるようだ。

「先生、こちらは音楽担当の○○さんです」
と、ディレクターは私をその紳士に紹介してくれた。
「どうも」とその紳士は微笑んでくださった。

どのような方か推察出来ずに、
「え~っと・・・・」などとアホ面丸出しでシドロモドロしていると、
そのアホな私に気付いたディレクターが言い放った。

「ドラえもんの、藤子・F・不二雄先生ですよ」

その衝撃にビックリしてソファからすっ飛び起き、
その後は身体が硬直したまま、すさまじい緊張感。
「ド・ド・ドラえもん~?、あ、いや、藤子先生~?!」

無知とは怖ろしいものだと実感した瞬間だった。

なぜ、ベレー帽で推測できなかったのだろう。
ベレー帽と言えば漫画家だろうに!!!

そんな、私にとって衝撃的初対面の挨拶のあと、
藤本先生を間に挟み、作家と私の3人並んで観劇をした。
その作品は作家が脚本を、音楽を私が担当していた作品だったが、
「となりのトトロ」ならぬ、となりのドラえもん、と考えただけで、
緊張の嵐で舞台がまともに観られない。

舞台に自分の音楽が流れるたびに。
「あ~、すんません、ほんと、もうすんません~!
こんなお耳障りな音楽で、ほんと、すんませ~~~ん~~~!」
と、冷や汗たらたら・・・・。
その日、どんな舞台の出来だったか全く覚えていない。

なぜ、ここに藤本先生が現れて、
ディレクターが紹介してくれたのかと言えば、
今後の予定の作品が、原作「藤子・F・不二雄」なのだった。
藤本先生の漫画作品を舞台化することになっていたのだ。

しかし何の前振りもなく、突然紹介されても~・・・、
と、ディレクターのサプライズを少々恨めしながらも、
いつか必ず出会う方だったのだ。
そしてこんなちっぽけな私のものづくり人生にも、
大きな影響を与えてくださった方になったのだ。

初対面から3年、
予定通り、先生原作「SF短編集」の舞台化も観て頂くことができた。
喜んでくださった。

そして、それから2年後1996年9月に、
藤本先生は旅立たれた。

先生がいなくなったあと、2001年には
先生の漫画を題材に、追悼3部作の作品も作った。

来年で、もう20年にもなるんだなぁ~。
来年は先生の没後20年として、
きっといろんな仕掛けが待っているかもしれないなぁ~。

先生とお会いして以来、
せっせと「ドラえもん」の原作を読みあさり、
映画「ドラえもん」の映画も原作もすべて観た。


作曲で頭を悩ますときはドラえもんに頼りたくなるけど、
映画の中の「のび太」のように頑張らないといけないよなぁ~、
なんて、「こころの友」を思い浮かべるのです。






今月に入り、私の音楽を使用したいとの依頼が続いている。

私どものホームページにアップしてある音源資料のことだ。

どの依頼も、学校現場での発表会の際の使用らしい。

基本的に教育現場での使用は、
歌入り以外は無制限、無料に設定していて、
自由な使用を許可している。


依頼人は当然の如く、学校の先生。

依頼文もさまざまな言葉が並んでいて、それはそれで面白いのだが、

お若い方なのだろうか、教育者の方でありながら、

少々文章力に乏しい方も見受けられ、

やはり、誠意を伝えるための言語力、文章力って大切なものなのね、

ってことを教授される。さすが、先生、教えるのが上手い。



このブログは文章力を身につけるための修行の場。

地道に日本語と向き合う毎日です。
毎晩、ホーキングの「宇宙を語る」を睡眠剤にしているが、
だんだん面白くなってきて、睡眠効果が薄れてきた。

時空の説明に「円錐形モデル」を利用していたが、
なるほど、判りやすい。

(昔読んだのに忘れていた・・・)

円錐形の縁が光の軌道で、
その内側が宇宙、外側が何だかわかんない世界。
未来型円錐と過去型円錐なんて発想は感動する。

絶対時間も絶対空間も、
絶対静止もない、エーテルなんてのもない。
無いと説明がつかなかったものが、次々に「無い」ものだと明かされていく。

自分はその場に静止していても、
自分のいる地球は宇宙空間に対して、
24時間で1回転の自転をしているし、
365日で1回転の公転をしている。
地球は宇宙空間の中を、ものすごいスピードで動いている。
だから、静止しているつもりの自分は、
この地球にのっかって、宇宙を高速に移動している。

「静止」すらも相対的な概念であり、
どんな条件でも運動法則は成立する。

ま、この程度の知識なら、誰もが理解していることだろうけど、
「絶対静止は無い」なんて言われたり、
「一般相対性理論が保証している」なんて物理学用語で言われると、
なんだかワクワクな感覚が湧き上がってくるから面白い。

宇宙自体も膨張しているのだから、
この宇宙に絶対的に静止しているものは無い。
自分も地球も太陽系も銀河も、この宇宙空間にあるものすべてが、
ものすごい速度で運動している。

そんな宇宙像を想像していたら、
眠れなくなっちゃった・・・。