音の「厚み」 | 安濃爾鱒のノート

安濃爾鱒のノート

これは web log ではありません。
なんというか、私の「ノート」です。

 本日、お付き合いから、一日で二つの演奏会をハシゴすることになった。

 一つ目が violin と piano の Concert、二つ目が Piano Duo Concert。

 

( 「お付き合い」のところ、一応、簡単に説明しておくと、私が学生時代に家庭教師で教えていた子が出藍の誉で神戸大医学部を出て医者になってそのお嬢さんが神戸女学院で音楽を勉強中で、という繋がりが1件目、2件目は、うちの近所の合唱サークル「コール清和 / CHOR SEIWA」などからの繋がり)

 

 で、帰りの電車の中で、前々からとても気に入っていて 移動中もスマホでよく聞いている曲を聞いていて、《 あれ!? なんか… 音が薄いような… 》というような不満を感じていることに気が付いた。

 

 その曲は、例えば、こんなもの:

 

 

 いやいや、別にこの曲や この演奏家の皆さんに不満があるわけではない。この曲も、この演奏も、素晴らしいと思う。なのに、スマホで Youtube を再生して聞くというのは、生演奏を聴いた直後だと、不満に感じる、という話である。私には Youtube 、スマホ程度で十分だと思っていたが、やっぱり生演奏の音の厚みは凄い、ということに気が付いた、という話である。

 

 数学用語で、イメージ(:Image、投影されるもの、紡ぎ出す世界) のディメンジョン(:dimension, 次元、「自由度」のようなもの)を「ランク」(Lank)と云う。機械を通して聞く音楽はこの「ランク」が低く、生演奏はこの「ランク」が高い、ということ。

 基本の音の周波数を f とすると、(高校数学でみる正弦波のようなものでない限りは) 2f,3f,... という高調波が派生している。(で、そういう高調波が乗った波形は、大学の数学のフーリエ展開の図のような感じ)。

 で、ちゃんとした人によるちゃんとした楽器の生演奏だと、この高調波が無限に続いていて、それらが重なって出来る音を聞くことになっているのに対し、機械で作った音は、高調波が或る処で切られてしまっている、その差が「音の厚み」の差になるのだろう。

 例えば、エレクトロニクス機器が出す音楽は、高調波が 2f, 3f, 4f, ... 10f までだとすると、それが構成する音楽は、{f,2f,3f,4f, ..., 10f} を基底とする 10次元 vector space を為しているが、生演奏だと、無限次元の vector space を為している、ということ。

 

 私には Youtube 、スマホ程度で十分、或いは、パソコン上で動く楽譜作成ソフトで生成する曲モドキのやつで十分だと思って来た。

 それが、私にも「音の『厚み』」を聞き分けることができるのだと、本日気が付いた。