愛国無罪デマを排す、その2:「タイ首相の言葉」 | 安濃爾鱒のノート

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これは web log ではありません。
なんというか、私の「ノート」です。

タイの元・首相ククリッド・プラモードは、新聞にこんな一文を載せています。

日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、生まれた子どもはすくすくと育っている。

今日、東南アジアの諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるか。

それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。

 ・・・

 こういうやつ、よく見かけますね。市井の「愛国者」(自称)達の 個人ブログ や Facebook でよく引用されていて、頻繁に眼にします。

 コピペでドンドン広がっていますが、原典はどういうものだったのでしょう。


 日本語訳については、既に調べがついています。

 

 名越二荒之助編『大東亜戦争その後 : 世界の遺産』(展転社、2000) の p.126 において、

  タイのククリット・プラモード氏が、
  オピニオン紙「サイヤム・ラット」に発表した
  「十二月八日」と題された署名記事

として、"日本語訳" を "引用" されているのが、今 ネットに出回っている多くのコピペの "原典" のようです。

 

 では、その《 プラモード氏が、「サイヤム・ラット」に発表した「十二月八日」と題された記事 》は、どういうものだったのかというと、これが、見つかっていないのです。

 国立国会図書館の人で、これを懸命に探し回ったひとがいらっしゃるようですが、見つからなかったようです。

 その方以外にも 多くの歴史学者が これを捜し続けているようですが、未だ、見つかっていません。

 「有る/在る」ことを証明するのは、それを見つければいいのですが、「無い」ことを証明するのは難しいんですね。

 

 ところが、これについて、今話題の書、百田尚樹の「日本通史の決定版」と自画自賛していることで有名な『日本国紀』に この話が載っていまして、それによると、このこの話の元ネタ探しの進展につながる情報がありました。曰く:

「『日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。(略)我々はこの日を忘れてはならない』(現地の新聞サイアム・ラット紙、昭和三〇年十二月八日)」

( 百田尚樹『日本国紀』幻冬舎, 2018, p. 447 )

 

と書かれています。
 つまり、百田の「日本国紀」を信じれば、プラモード氏が、「サイヤム・ラット」に発表した「十二月八日」と題された記事の日付:昭和三〇年十二月八日 が判明した、ということなのです。
 そこで、この情報を頼りに、タイの国立国会図書館で、サイアム・ラット紙の現物を調査された方が現れました。
 清義 明 氏です。
 清義 明 氏は、この件で、以下の様に tweets されております:

「タイの国立国会図書館のサイヤムラット紙のバックナンバーを調査しましたが、該当記事は記載の1955年12月8日前後、および中村明人がタイを訪れた同年の6月9日の前後にも見当たらないとの結果になっています。
少なくとも、百田が記載している日の同紙には掲載してないことは確定です。」
「補足ですが、確認できる限り「十二月八日」という記事が1955年の12月8日に掲載されたとは名越氏は書いてません。違う年かもしれないし、別の日かもしれない。この存在を確認するには膨大なククリットの政治論考を延々調べるしかない。百田記載の掲載日にはないというのは確定ですが」

 

 

(該当 tweet1, tweet2

 

 

 

 こりゃ、どうも、「マッカーサーの言葉」という奴と同じみたいです。

 

(「マッカーサーの言葉」という奴、ご存じでない方は、この件についてまとめた頁がありますので、そちらを参考にしてください。)

 

 

 

ヴァリニャーノ書簡

 

日本の民度の高さを称賛する「ザビエル書簡」について

 

愛国無罪デマを排す 「マッカーサーの言葉」

 

ーーーーー杉浦 憲二 (Sugíura Kenji) ーー sui generis ーーーーー