「郷に入っては郷に従え」 | 安濃爾鱒のノート

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なんというか、私の「ノート」です。

 ヨーロッパで、「難民」(と称している人々、そう呼ばれたりすることもある人々)が、性犯罪を含むいろいろな酷い犯罪を犯したりして沢山の深刻な問題を起こしているようだが、それについて、ネット上で、
  「日本なら、古くから
    『郷に入っては郷に従え
  という言葉があるのだが、…」
というようなことが書いてあるのを見つけて、「いやいや、そうじゃないでしょう。『郷に入っては郷に従え』というのは、英語の "When in Rome, do as the Romans do" の訳語だから、明治維新以降のものでしょう」と、私は その時は 思った。で、そういう "間違いの指摘"(!)を書き込んでみようかな、と思って、実際に書き込む前に念の為に確認してみたら、間違っていたのは私の方だったんだと判った。

 以下に、調べて判ったことを書き留めておく。

 『郷に入っては郷に従え』の元となったのは、鎌倉時代に作られ、江戸時代まで使われ続けた子供用教科書である
   「童子教(どうじきょう)
の中にある、
   「入郷而従郷、入俗而随俗
    (郷に入りては里に従い、俗に入りては俗に随う)
という部分であり、これの口語訳が、現代の我々に馴染みのある『郷に入っては郷に従え』だということのようである。
 鎌倉時代から既にあるのだから、《 明治維新以降に英語の"When in Rome,..." を訳した物 》という考えは間違っているということである。
 で、この「童子教」の中の「入郷而従郷、入俗而随俗」というのは、どこから来たのか?というと、13世紀の China 、南宋の時代の禅宗の燈史(:歴史書)である
   「五灯会元(ごとうえげん)
の中にある、
   「且道入鄉隨俗一句作麼生道
という言葉からきているらしい。
 

 じゃあ、英語の "When in Rome, do as the Romans do" の方の起源はどうなのか?China の「五灯会元」の「且道入鄉隨俗一句作麼生道」からきたものか?と調べてみたら、こちらは、4世紀の ミラノ(Milano) の 司教(主教、Episcopus)であった、
    アンブロジウス
     (AmbrosiusAmbroseSant'Ambrogio)

  "sī fueris Rōmae, Rōmanō vīvitō mōre;
   (ローマに在りてはローマ人の如く生き)
   sī fueris alibī, vīvitō sīcut ibī"
   (その他に在りては彼の者の如く生きよ)
が起源で、それの英訳が、"When in Rome, do as the Romans do" だということらしい。

Ambrosius

 

そして、
 スペイン語の A dónde fueres, haz lo que vieres も、
 ポルトガル語の Quando em Roma, faça como os romanos も、
 フランス語の Pour entrer dans le canton de suivre le canton も
 ドイツ語の Mit den Wölfen heulen も
みーんな、このアンブロジウスの "sī fueris Rōmae, Rōmanō vīvitō mōre; sī fueris alibī, vīvitō sīcut ibī" という言葉が起源と考えてよいのだろう。

 で、アラビア語には、そのような言葉はないのだろうか?と調べてみたら、
   عندما تكون في روما، افعل ما يفعله الرومان  
という表現があるようで、それでググってみたら、約 14,100 件 がヒットした。英語の "When in Rome, do as the Romans do" だと、約 13,600,000 件 がヒットするし、日本語の「郷に入っては郷に従え」だと、約 308,000 件ヒットするから、それらに比べれば少ないのだが、まぁ、アラビア語にもそういう表現がちゃんとある、とは言っていいのではないのだろうか?
 ヨーロッパで問題を起こしている、「難民」と称している人々、そう呼ばれたりすることもある人々に、それを判らせる必要があるようだ。