「紳士な態度」 | 安濃爾鱒のノート

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なんというか、私の「ノート」です。

 先日、伊集院光氏のラジオ番組を聞いていて、ちょっと気になる言葉を見つけた。
 伊集院光氏が、某テレビ番組の収録風景を、この方らしく面白く語っていた話の中で、「しんしな態度」という表現を使ったのだが、私にとって(正確に言えば「その時点の私にとって」)の「しんしな態度」といえば、「真摯な態度」しかありえなかったのだが、それではその話の流れ (これを「文脈」と呼んでよいのだろうか?) に合わない。流れに合わせて解釈すると《 紳士的な態度 》《 ジェントルマン(gentleman)の様な態度 》という意味を込めて使っておられるようなのである。要するに「しんしな態度」とは「紳士な態度」のことらしいのである。
 私は伊集院光氏のこのラジオ番組が大好きだし、この人・この番組で沢山教えられた事が多く、特に、語彙・言い回し・レトリックの類を一杯教わったと思っている者で、だから、伊集院氏が「紳士な態度」と言えば、それは即ち「紳士な態度」という表現は、普通の大人にとって、全くおかしくないない、普通の表現であるということなんだなぁ、と考える者なのであるが、ダメ押しに「紳士な態度」でググる (:internet 上検索する) と、約 32,400 件もヒットし、現在、この表現が普通に使われていることがよく判る。
 面白い、と思った。
 大袈裟に言えば 《 歴史的瞬間に立ち会った 》とでも言おうか、 例えていえば、「新しい」という言葉は、昔は「あらたしい」であった。それが、江戸時代、大衆エンターテイメントとしての読書という習慣が生まれ、エンターテイメントビジネスとしての大衆向け出版を行う企業が生まれ、職業として、そういう本を書く作家という稼業が成立する様になったころ、「新しい」という意味で「あたらしい」と表現する慣例が誕生したわけだが(今で言う、「ギロッポンでチャンネーとシースー」みたいなものではないか)、それと同じように、今、「真摯な態度」という表現で聞き覚えのある「しんしなたいど」という音と、「紳士的な態度」という言い回しから「紳士な態度」という新しい表現が生まれた、という時代に生きているんだなぁ、という感慨である。
 最近の新語・造語といえば、外来語 (とくに英語由来の言葉) をよく消化した結果生まれたものとか、IT 用語などの専門用語や業界用語が一般化してよく消化した結果生まれたものが目立つが、こういうタイプの新語もあるんだなぁ。

 

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  (2024年4月4日追記)

 

 或る Youtube ちゃんねるで知った話なのだが、最近の若い人は「オブラートに話す」という表現を使うらしい。用法としては、我々高齢者が「オブラートに包んで話す」という言い方で表現していたものと同じで、直接的な言い方をするときついとか差し障りがあるので、柔らかい感じの別の表現に代えて話す、という意味である。例えば、「デブ」という言葉を「ふくよか」と言い換える、など。

 オブラートとは、デンプンで出来た薄いシート状のもので、口の中で直ぐに溶け、味は無く、その語源は、オランダ語の "oblaat" 又はドイツ語の "oblate" と言われており、昔は、飲み難い粉薬を飲む際 このオブラートという薄い膜に包んで飲むという飲み方があった。そこから、言い難い事を言い易い表現に代えて言うことを「オブラートに包んで話す」という表現が生まれた。

 しかし、今の若い人は、オブラート自体を見たことがなく、「オブラートに包んで話す」という表現の成り立ちを理解していないが、聞いた覚えはあって 用法も知っていて、その結果「オブラートに話す」という新しい表現が生まれたようである。その際、「オブラート」という言葉の音の響きが、なにか イタリア語の音楽用語に似ている感じがすることが この新しい表現の誕生に影響しているのではないか、という話があった。

 「紳士的な態度」という表現の単縮型の「紳士な態度」という表現が生まれるのにも、その前に、「真摯な態度」という表現があって、それで「しんしなたいど」という音に聞き覚えのあったことが誘導路にとして作用しているのではないか、という話に似ているかな?と思った。