自称「霊能者」とか自称「超能力者」とか | 安濃爾鱒のノート

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これは web log ではありません。
なんというか、私の「ノート」です。

 自称「霊能者」とか自称「超能力者」とかいう人たちは、一体どういうものなのか?
 私の思うに、この手合いには以下の4種類がある:

 

  1. 馬鹿で無能で 且つ それを補う為の努力もしないで、周りの人達から受け入れられていない様な連中の中に、そういう事実を受け入れず、《 本当の自分は とても頭が良くて、なんでもすごく良く出来て、本来なら、もっと高い地位について、多くの人を指揮命令するような人間なのである 》という甘美な自己イメージを夢想することで、現実逃避して、空想の世界に逃げ込んでしまう連中がいる。その空想世界では、《 自分には 世の中の真理が見えているのに、愚かな一般大衆達は判ってない。自分には、こういった愚か者達を正しい方向に教え導く使命がある 》ということになっている。その、《 真理 》、つまり、( 愚かな一般大衆には判っていないが、自分達:賢い者達だけは判っている《 真理 》) として、UFO・超能力・霊現象・予言・陰謀論・カルト宗教などがる。  (これらと並んで、《 共産主義社会は理想社会 》という空想なんてものもある。)
  2. Hieronymus Carl Friedrich Freiherr von Münchhausen のお話に出てくるほら吹き爺さんと同じで、みんなにかまって貰いたい人。 みんなの注目を浴びたいのだけれど、才能はなく地道で前向きな努力もしない。が、或る日、偶然、オバカなことを言い張り続けると、みんなが振り向いてくれることに気がついて、で、それ以来、その路線で行くことにした人。注目を浴びる、といっても、皆んなの笑いもの・晒し者になっているだけなのだが、それでも、本人にとっては皆んなに相手にされないよりはマシなのだろう。
  3. 商売としてやっている。気休めの嘘を言って欲しい人にそういう嘘を言ってあげるという商売のための舞台設定のキャラを演じている人である。伝統芸能の「イタコ」から、最近出てきた「オーラ」がどーのこーのとか。或いは、TVなどの虚業界は、常にこの手合いを必要としているから、その需要を満たすために、そういう役を担当するという商売をやっている人も居る。
  4. 詐欺師

4.の詐欺師については、警察の皆さんに頑張ってどんどん捕まえて頂きたい、としかいうことがない。

 

3.は、まぁ、暴利を貪っているのでなければ、いいんじゃないか、と思っている。

(ただし、ちゃんと税金は払ってね。あと、太木数子みたいな恫喝もやめてね。)

 伝統的な、神社仏閣の、お守り・御札の類の例もあるし、最近ではTV番組・冊子に占いのコーナーがあるのと同じ。

 少なくとも現時点では、心の病気を持つ人たちに対して、 医者や心理学者が出来ることは とても不十分であるのだから、悩んでいる人達に対し 現実にその苦しみを低減させるような行為、tranquilizer の効能を持つ intangible placebo を提供する仕事は、その正体はどうあれ、社会として容認してきたし、これからも容認されるべきである。


3.と 4. の境界線は、難しい。

 まず、よく云われるのが、暴利を貪っているか否かであろう。

だが、その「暴利」であるか否かの判断は、実際問題として、難しい。

 私なら、どれくらいが「暴利」で、どれくらいが「良心的価格設定」かは、

   1時間、気休めの嘘を云ってやって、千円くらい

あたりが妥当な線でなはいか、と、思う。

 私自身は、そんなモンには、¥1円でも払わないけど、騙される当人が、気休めに騙されたがっている場合は、いいんじゃないか、と思う。

 しかし、そういう稼業の人自身が、例えば、元暴走族・ヤンキーの類が芸能人になって、馬鹿でそういう資格も無いのに医者や弁護士を演じて、その演技が上手くて多くの人を楽しませることができたら、かなり高い報酬を得ているじゃないか、なんてことを言って、報酬として許される限界をかなり高く設定しようとするかもしれない。

 結局、許されるか否かの境界線は、報酬の多寡ではなく、恫喝とかの卑劣な手段を使うか否かとか、別方面での条件を捜さなければならないのかもしれない。

バーナム効果(Barnum Efect)ショットガンニング(Shotgunning)、コールド・リーディング(Cold reading)などを、一個一個 これはいいけどこれは反則といった、明確なルール作りが必要なのかもしれない


2.の Münchhausen な人については、自分の身内にいたら、ちょっと嫌だけど、まぁ、たいして害はないのだから、放置しておくしかない。

 

1.は、身内にこういうのがいたら、かなり困る。

 しかし、ものは考えようで、無能で怠惰という本当の自分から眼をそらして、妄想の中に現実逃避するにしても、その逃避先がオカルト話なんてのは、かなり、マシな方なのではないか。

 

 妄想話への現実逃避として、宗教へのめり込む人がいる。安濃爾鱒のブログ-池田犬作

 既成のメジャーな宗教は、大体、過去に大虐殺をやっているものが多いし、新興のカルト宗教といえば、毒ガスサリン無差別大量殺人事件で有名なオウムだけでなく、元々闇の高利貸しの暴力取立て屋であった狡賢い男が始めた 既成の仏教の一派を騙る某個人崇拝教も、周りの人がかなり迷惑することで有名である。特に選挙が近づくと本当に迷惑である。
 

 「人権擁護」派を自称するカルト集団、「カルト宗教 人権心理教」も、凶悪犯罪を犯した悪党を何が何でも擁護するために、何の罪も無い犯罪被害者やその家族遺族を攻撃したりして、かなり迷惑な存在である。

 

 現実逃避先として「発見」した理想世界が、共産主義などのイデオロギーというケースもあって、この手合いは、北朝鮮に拉致された家族を救い出そうと頑張っている人たちを攻撃したり、「憲法9条があれば戦争は起きない」とかいって、学校の教室で、「この中でお父さんが自衛隊員の人は立ちなさい。皆さん、この人のお父さんは、悪党です」なんていう『教室人民裁判』をやったりして、かなり困った存在である。

 とまぁ、無能で怠惰という本当の自分から眼をそらして、妄想の中に現実逃避する場合、以上のような、かなり酷いものが多いのだから、オカルト狂いくらいは大目にみてやればいいじゃないか、と思う。

 

 大体、かなり情け無い本当の自分から眼をそらして妄想の中に現実逃避する、なんてのは、程度の差こそあれ、大体だれでもやっているのではないか。

 多くの人は、「自分は仕事が出来る」という事実に反する妄想で折れそうな心を支えていたり、「自分はかっこいい/美人」とか「喧嘩が強い」とか「**が上手い」とか、その具体的な内容は人夫々だが、自分流の、客観的事実に反する自己美化妄想を心の奥に密かに持っていてそれで弱い心を支えているのではないか。「自分は仕事が出来る」という勘違いなんて、一緒に働いている人からしたら、オカルト狂いなんか比べ物にならないくらい迷惑だと思われているかもしれない。

 「自分は野球が上手い」「自分はファッションセンスが優れている」と勘違いしている野球馬鹿・ファッション馬鹿がオカルト馬鹿を哂っているのを、オカルト馬鹿でも野球馬鹿でもファッション馬鹿でもない私が見れば、「目くそ鼻くそ」としか思えない。そういう私はXX馬鹿で、オカルト馬鹿・野球馬鹿・ファッション馬鹿から哂われていることだろう。

 

 そもそも、人間の脳みそは、その人の心が壊れないように、見間違い・聞き間違いなどの錯覚、外部からの物理的刺激を受けて脳へ伝える感覚器官から入力した客観的情報への主観的修正や、自分の気持ちに都合の良いように 記憶の書き直しをするようにできている。

 その結果生じる現象で、外からわかる「おかしな行動」には色々あって、その内、オカルト狂いなんてのは、かなりマシなほうで、社会を安全に保つためのコストとしては、寧ろ安上がりなのではないか。