ツィクロンB
(【独】Zyklon B, 【英】 Cyclon B) は、
ドイツの デゲシュ社 が 開発し、Testa 社 および Heli 社を通じて販売されていた、シアン化合物系の殺虫剤である。
デゲシュ社:略称 Degesch から。
正式には、Deutsche Gesellschaft für Schädlingsbekämpfung mbH
創設者は、1912年にノーベル化学賞を受賞した 物理化学者の Fritz Haber
ユダヤ人であるが、洗礼を受け、ユダヤ教から改宗したプロテスタントである。
Testa 社:Tesch & Stabenow
Heli 社:Heerdt-Linger
ヨーロッパでは、昔から発疹チフスの流行に悩まされ続けてきたが、その発疹チフスを媒介する虱(しらみ)を駆除するために、長年、殺虫剤の開発に非常に多くの各種リソース(:資金や人材など)が投入されてきた。
化学が得意なドイツでは、第一次大戦終結の頃、Zyklon A, 同-B, 同-Cが開発され、1923年に商品化された。
ドイツでは、この殺虫剤を、広く大量に使った。
一方 米国は、虱(しらみ)が媒介する発疹チフス と 蚊が媒介するマラリアに悩まされていて、まずは、日本から輸入した除虫菊を材料とした殺虫剤を利用していたが、その後、DDTという強力な殺虫剤を利用した。DDTは、Dichloro-diphenyl-trichloroethane(ジクロロジフェニルトリクロロエタン)の略。
1873年、オーストリアの化学者 Othmar Zeidler (オトマール・ツァイドラー)が合成し、
1939年、スイスの化学者 Paul Hermann Müller(パウル・ヘルマン・ミュラー)が殺虫効果を発見。
米国は、第2次世界大戦の開戦で日本から除虫菊の輸入ができなくなり、DDTを工業的に大量生産する技術を開発し、これを盛んに使った。
ドイツでは、殺虫剤として Zyklon B を、広く大量に使った。
ドイツ人の一般家庭で使われた。
ドイツ人が食べるための穀物などの燻蒸殺菌にも用いられた。
ユダヤ人強制収容所も、例外ではなかった。
劣悪な環境であったから、大量に使ったかもしれない。
同じ頃、米国は、捕らえた多くの日本人を対象として、あるいは占領下の日本で、大量の民間人(勿論女子供老人障害者を含む)に対し、殺虫剤DDTを非常に大量に、そして乱暴に散布している。
(米国政府自身が、その記録映像を大量に撮影し保存している。良いことをしたつもりなのだろう)
このドイツの殺虫剤 Zyklon B が、いわゆる、「アウシュビッツのガス室」とされているところで使われた、いわゆる「毒ガス」だとされている。
ドイツ軍当局は、ユダヤ人被収容者の衣服を Zyklon B によって燻蒸、消毒していた。
尤も 十分な効果は得られず、或る資料によれば、
Zyklon B による燻蒸では、蛾を殺すのにも二十四時間が必要だった
という。
この程度の殺虫剤をドイツは《 大量殺人用の毒ガスに転用した 》ということになっているのだが、蛾を殺すのに二十四時間もかかった殺虫剤で、人間を数十分以内に殺せたのだろうか?
こんな出来の悪い殺虫剤で、人が殺せるわけがない。
もっと強力な殺虫剤であるDDTを米兵に大量にふり掛けれたのに誰も死ななかった日本人は、バケモノだということになってしまう。