IQ | 安濃爾鱒のノート

安濃爾鱒のノート

これは web log ではありません。
なんというか、私の「ノート」です。

 2000年、米国で、大統領選挙があって、
   George Walker Bush (息子の方のブッシュ)
が当選し、その翌年(:2001年)、彼が第43代の米国の大統領に就任し、彼の新政権の組閣が始まって、
  Condoleezza Rice  (コンドリーザ・ライス)
が、新生ブッシュ政権の
  Assistant to the President for National Security Affairs
   国家安全保障問題担当大統領補佐官
に就任した頃のことである。
 それを伝えるニュースにおまけとしてついてきた与太話のなかに、

 「Rice の IQ(:知能指数) は 180」(或いは 200)
 
というのがあった。
 それを聞いて私は、「馬鹿馬鹿しい」と思った。
 というのは、私の知っている IQ(:知能指数, Intelligence Quotient)というのは、
例えて言えば、

  満10歳のA君が知能テストを受けました、
  で、彼の知能テストの成績が、
    満10歳児の平均点と同じなら、A君のIQは100、
    満11歳児の平均点と同じなら、A君のIQは110、
    満12歳児の平均点と同じなら、A君のIQは120、
     … … … …
  ということ、
 
というものなのである。
 であるから、こんな概念は、せいぜいが10代半ば程度までの子供にしか意味が無いものであり、当時47歳の Condoleezza Rice のIQは?、なんて、まったくナンセンスと思ったのだった。

 ところが、調べてみると、私の IQ(:知能指数, Intelligence Quotient) の認識は、古くて、今 IQ(:知能指数) というと、こういう生活年齢と精神年齢の比を基準としたものではなくて、
   DIQ 偏差知能指数(Deviation IQ, 偏差IQ、偏差値知能指数)
のことで、これは、
  同年齢集団内での位置を基準とした標準得点としての指数
であって、例えて言えば、知能テストの成績の「偏差値」みたいなものである。
つまり、DIQ:100 というのは、知能テストの成績がみんなの平均点と同じで偏差値50ということ、
 偏差値55 だと DIQ:108 偏差値45 だと DIQ:93
 偏差値60 だと DIQ:115 偏差値40 だと DIQ:85
 偏差値65 だと DIQ:123 偏差値35 だと DIQ:78
     … … … …        … … … …
という具合になっている。
 これだと、確かに、47歳の大人に対するIQは?というのも意味が成立する。

 但し、「Rice のIQ(:知能指数)は180 (或いは 200)」という話の方は、根拠不明で、やっぱり怪しいことには違いない。尤も Rice は、この前:1993年に スタンフォード大学(:Leland Stanford Jr. University)の教授になり、かつ、同大学史上最年少の、女性としても白人以外としても初の、スタンフォード大学の教務局長 (Provost) になっている。だから、めちゃくちゃ賢いことは間違いないのだが。

 しかし、それを知った上でも、私は、引き続き、このIQ(DIQ の方)、知能指数 に大きな不信感がある。
 例えて言えば、「曲学阿世の疑似科学」のような胡散臭さである。

 ひとはみな、なんとなく、日常、周りの人に対し、「この人は賢い」とか、「この人は馬鹿だ」とかいう評価を行っており、で、もし、それが、直感的なものではなく、なにか 客観的・学術的な、信頼ありそうな数値で表せたらいいなぁ、と思っており、で、そういう大衆の感情に迎合して似非科学者がでっちあげたもの、それが、この IQ:知能指数、という印象を私は持っている。

 実際、知能指数を計算するために行う知能テストが、元々の起こりからして、欧米の白人が、それ以外の人種を劣っていると思いたがっていることに欧米の学者が迎合して、そういう目標に向かってアンフェアな試験したものであって、実際、その結果、目論見どおり、欧米の白人の希望どおり、欧米の白人は知能が高く、それ以外(当然日本人も含む)は低いという統計データが得られた。
 但し、当初のそれは、あまりに、欧米人に有利なようにアンフェアなのが明白露骨だったので、日本人の鈴木治太郎氏や田中寛一氏などが中心となって、知能テストの改善が行われた。
最近使われている知能検査は、大体、こういう経緯で創られたものであるが、すると、今度は、日本人が高く出るようになった。
イギリス人の平均を IQ:100 とすると、日本人は IQ:105 くらいになっている。
 大体、東アジアは高く、アフリカは低く、欧米は、その中間くらい、という結果となっている。
 これは、もしかしたら、本当に、日本人は平均してIQが高いのかもしれないし、そうでないのかもしれない。
 もし、後者であるとしても、それは、改善版の知能試験を考えた鈴木治太郎氏や田中寛一氏が、(過去の欧米の似非学者のような)いんちきを行った、ということではないだろう。
 
 これは、私の想像だか、

  • 日本語の かなと漢字が混ざった表記法が、問題文を、すばやく理解するのに有利

  • 日本人は、異常にIQを気にするので、知能試験を頻繁に行う。

  • 知能試験は、数をこなせば、高い点数が取れるようになる。

  • よその国では、この子は知的障害者では?と疑われる子と超天才以外は、あんまり知能試験をしない。あんまりやると、人権問題となる。特に就職試験など。


ということではないか?と思っている。
 アフリカ人が低く出るのは、試験環境が悪いのだろう。
 
 なお、ギネスブックにも認定されている世界で最も高いIQの持ち主はアメリカの
  Marilyn vos Savant (マリリン・ボス・サバント)
である。
 彼女の IQ は 228 とギネスブックに登録されている。
 彼女に関する逸話:
  Monty Hall problem
  モンティ・ホール問題  (→後述)
を知ると、多くの人は
  やっぱり、
    《 IQが高い 》 イコール 《 賢い 》
  じゃないか、
と、思うに違いない。
 モンティ・ホール問題は、或るゲームの確率に関する問題で、
沢山の非常に有名な学者を含む、沢山の人が間違えた。
 勿論、私も間違えた。
 彼女(Marilyn vos Savant) は正解した。(→後述)
 彼女が出した正解に対し、名門大学の有名な数学者を含む多くの人が馬鹿にした。

 George Mason University の Robert Sachs 博士: "As a professional mathematician, I'm very concerned with the general public's lack of mathematical skills".
 University of Florida の Scott Smith 博士:"There is enough mathematical illiteracy in this country, and we don't need the world's highest IQ propagating more. Shame!"
 California Faculty Association の Barry Pasternack 博士: "Your answer to the question is in error. But if it is any consolation, many of my academic colleagues have also been stumped by this problem".


が、その後、Computer simulation によって、彼女が正しいことが示された。
 彼女を罵倒した多くの有名な学者たちが謝罪した。

 モンティ・ホール問題とは、こういうものだ:

 「プレイヤーの前に3つのドアがあって、
    1つのドアの後ろには景品の新車がある。
    2つのドアの後ろにはヤギ(:ハズレを意味する)がいる。
  
  プレイヤーは新車のドアを当てると新車が貰える。
  プレイヤーが1つのドアを選択した後、
  モンティ(:番組の司会者)が 残りのドアの内 ヤギ(:ハズレ)
  居るドアを開けてヤギを見せる。
  ここでプレイヤーは
   『最初に選んだドアを、残っている
    開けられていないドアに変更しても良い』
  と、言われる。
  プレイヤーはドアを変更すべきだろうか?」
 
マリリン・ボス・サヴァント(Marilyn vos Savant)
 
  「正解は
    『 ドアを変更する
   である。
   なぜなら、ドアを変更した場合には
   景品を当てる確率が2倍になるからだ」
 
と回答した。
 
 これを読んだあなた、間違えたでしょう。
 私も間違えた。
 18世紀最高の数学者と呼ばれているレオンハルト・オイラー(Leonhard Euler)に並び証されるほどの業績を残しているハンガリーの天才数学者、プリンストン大学教授の
   Engländer Pál (通称 Erdős Pál, エルデーシュ・パール (苗字が前、名前が後である))
も間違えた。
 だから、間違えても、全然、恥かしくない。
(詳細は こちら)
この問題が、
 
直感で正しいと思える解答と
 論理的に正しい解答が 異なる問題
 
の代表例なのである。