Naming rights | 安濃爾鱒のノート

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これは web log ではありません。
なんというか、私の「ノート」です。

 ネーミングライツビジネスが、今、問題になっているみたいである。

 原因は、神戸総合運動公園野球 の迷走。

 

 通常、公営スタジアム・公営劇場の多くは、その利用料収入では管理維持費を賄う事が出来ず、その赤字を税金で補填してきたが、それをなんとか止められないか、或いは、税金での補填額を多少でも減らせないか、という課題の為の工夫・アイデアとして、

  既に在る施設の 命名権(めいめいけん)の売買

 ( この「施設命名権」を「ネーミングライツ」(Naming rights) とも云う)

という手法が云われるようになった。

 元々は、(スタジアムの例では) 1980年代に、米国で始まり、定着したもので、日本でも、1990年頃から導入がはじまった。

 で、日本での最初の事例が、兵庫県神戸市の

    神戸総合運動公園野球場

    愛称:グリーンスタジアム神戸

で、2003年(平成15年)から施設命名権を導入している。

で、先ずは、Yahoo Japan が命名権を買い取って、

   「Yahoo! BB スタジアム

という名前になった。

 ところが、その後、Yahoo Japan の親会社のソフトバンクが、福岡ダイエーホークス球団を買収し、ソフトバンクとしては、野球関連ビジネスは福岡を拠点とすることにしたので、神戸での命名権契約は終了。

 それに伴い、スタジアムの呼称は、一時的に「神戸球場」とした。

 その後、名乗りを上げたのがスカイマークエアラインズ。

 神戸市は、関西に既に 関西国差空港、伊丹空港があるのに、この上更に空港を造っても採算性に疑問がある、と云わわれながらも神戸空港の建設を強行。

 で、大方の心配どおり、かなり苦しい空港運営を強いられており、そこへ、全てのコストを抑える努力をしている格安航空会社のスカイマークエアラインズが、それじゃウチが神戸空港を拠点にするから、施設利用料とかいろいろサービスしてくれ、ということで、スカイマークの拠点都市が神戸となり、それを周知させるため、スカイマークが神戸総合運動公園野球場の命名件を買い、このスタジアムの名前が、

  「スカイマークスタジアム

となった。

 ところが、《 神戸のスカイマーク 》も知られてきて、よその空港のディスカウントも進むし、全てのコストを徹底削減するスカイマークとしては、広告関係の出費も抑えたくなって、この契約も継続が難しくなってきたところへ、弁当屋「ほっともっと」や定食屋「やよい軒」などのフランチャイズを運営する「プレナス」という会社が、名乗りを上げ、結局、2011年2月、この「プレナス」が命名権を取得し、このスタジアムの名前が

  「ほっともっとフィールド神戸

になる。

 

 で、問題は、短期間に こうも名前がころころ変わっていては、市民に名前が定着しない、定着・浸透しない名前なんて不便だし、お金を出す側のスポンサーにしても、その宣伝効果に疑問を感じるようになり、この神戸に限らず、全国で命名権全体の価格水準が下がってきてしまう。

という問題が云われるようになってきた、

という話である。

 

 で、それはそれとして、この話が話題に上がると、

  「では、地下鉄の『三越前』駅も、

   名前が変わるかもしれないのではないか?」

という人が出たりする。で、それに対し、

  「いや、あれは、『ネーミングライツ』じゃないから」

という人が出てくることがある。

 

 確かに、東京メトロと三越との間に、ネーミングライツの売買の契約とか交渉などはないし、三越は東京メトロに対し、年間¥*億円のネーミングライツの代金を払う、なんてことはしていない。

そういう意味で、《地下鉄の『三越前』駅の件は、ソレとは違う》というのはそうなんだが、《ネーミングライツとは違う》と云っちゃうと、おかしくなる。

 

   命名権(めいめいけん)

  ネーミングライツ」(Naming rights)

というのは、上のような、施設の名前の年間契約単位の売買 だけをいうものではないんである。

 

 例えば、子供が生まれたとき、親がその名前をつける。

 親に、その子の名前をつける権利がある。

 これも 命名権/ネームングライツ である。

 化学者・物理学者が、新しい物質を発見したり生成したりすると、その科学者が 新物質に名前をつける。

 生物学者が、新しい生物を見つけると、その生物学者が新生物に名前をつける。

 天文学者が、新しい天体を見つけると、その天文学者が新天体に名前をつける。

 

 で、地下鉄の「三越前駅」のケースでは、三越が駅の建設資金を全額負担して開業させた駅でであるので、三越が永年命名権を獲得した。

 これは、科学者のケースから類推して当然の権利である。

 東京メトロの前身、早川徳次が設立した「東京地下鉄道」が 1927年(昭和2年)、上野 - 浅草間に地下鉄を建設した。同社としては、これを、銀座を経由して新橋まで延長したい。が、資金が足りない。そこで三越が、自分の店舗のまん前に駅を造るならその駅の建設資金を全額負担する、と申し出て、出来たのが、「三越前駅」である。(1932年、昭和7年)

 こちらこそ、命名権(ネームングライツ)ビジネスの基本形、であって、1980年代に始まった球場などの命名権(ネームングライツ)の「ばら売り」(年単位契約)の方が、命名権(ネームングライツ)ビジネスの傍流、変種(variant)、派生商品なのである。

 

 この手のビジネスの嚆矢(こうし)は、大阪の、
安濃爾鱒のブログ-淀屋橋

  淀屋橋(よどやばし)

であろう。

 淀屋橋は、中之島南岸と船場を結ぶ土佐堀川に架かる橋で、

嘗て、この辺り、土佐堀川のほとりに、

  淀屋(よどや)

という豪商の店舗があった。

    淀屋は、江戸時代、「天下の台所」大坂の代表的豪商。

    全国の米相場の基準となる米市を設立し、

    商都発展に大きく寄与した。

     緒方洪庵の適塾も、この辺りにあった。

    だから、緒方洪庵も大村益次郎も福沢諭吉も手塚良仙も、

    この淀屋橋の初代の木製の橋を頻繁に利用した筈である。

    そもそも適塾は大阪商人の寄付で成り立っていたから、

    もっとずばり直接にこの淀屋のお世話になっていただろう。

 ところで、この淀屋店舗に向かって南から伸びてきた街道が、土佐堀川の手前、つまり店の前で途切れていた。

 街道がその先(北)へ伸びる為の橋が無かったのである。

 それで、多くの人が不便を強いられていた。

 そこで、淀屋が費用を負担してここに橋を架けた。

 この橋のおかげで、市井の人々は便利になった。

 淀屋自身も、便利になるだけでなく、店の前の通りが賑やかになる、つまり、店の立地条件が良くなったのである。橋は 自然と、人々から 淀屋橋、と呼ばれるようになった。

 

 なお、淀屋は、この橋を掛けただけではなく、以降の保守管理改修も引き受けている。

 

 この淀屋の初代店主の名前は淀屋常安というのだが、 淀屋は、中之島の開拓でも活躍し (「常安請地」)、大阪大学医学部跡地の旧町名である「常安町」、「常安橋」に名を残している。

 

 民間企業が橋を架けて近隣住民に無償で利用できるようにした例としては、このほかに、大正時代、山梨の、身延橋 の例もある。

 

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 1907年、アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein) が、特殊相対性理論 の中で言い出した、質量とエネルギーの等価性を示す式:

      E=mc2

について、この式は、オーストリアの物理学者

    リーゼマイトナー
安濃爾鱒のブログ-Lise Meitner

  Lise Meitner  

が、 アインシュタインより先に判っていた、という説がある。

 

E=mc2 についての

  《Lise Meitner か Albert Einstein か》

の構図は、

原子モデルについての

  《長岡半太郎 か Niels Henrik David Bohr か》

の構図に似ている。

 

   ニールスヘンリクダヴィドボーア

     Niels Henrik David Bohr

 

 陽子(と中性子)からなる原子核の周りを電子が回っているという「土星型原子モデル」は、1903年に東京数学物理学会で長岡半太郎が発表している。

 Niels Henrik David Bohr が似たような原子モデルを発表したのは 1913年 だから、長岡半太郎 の方が先なのであるが、しかし、この原子モデルは、普通「長岡半太郎の原子モデル」とは呼ばれない。「ボーアの原子モデル」と呼ばれている。

 なぜか?

 長岡半太郎の説明は、古典力学(:ニュートン力学と電磁気学)のみによるもので、原子核の周りを回転運動する電子は、電磁波を放射して運動エネルギーを失い、やがて原子核に落下してしまう、という問題を残しているものだった。

 一方、ボーアは、自身が量子力学の祖であり、この原子モデルを考えるにも、マックス・プランクの量子仮説を原子内の電子に適用し、電子という荷電粒子が円運動をすることの波長の辻褄合わせまで考えていたのである。

 

 リーゼ・マイトナーは、放射線、核物理学の研究を行っていて、ウランの原子核に中性子を照射すると原子核が分裂することを発見し、原子核が分裂するときには 200MeV という大きなエネルギーが発生すること、そして、ウランが分裂してできた2つの原子核の質量は、合計すると、元のウランの質量よりも陽子の5分の1だけ軽いという計算結果も得ていた。

 これは、実質、E=mc2 の発見なのであるが、

  《 質量が減って、エネルギーが発生する、

   その計算式は E=mc

という、一方通行の、限定された意味でのものであった。安濃爾鱒のブログ-E=MC2

 一方、アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein)は、特殊相対性理論の中で、質量とエネルギーの関係の全体像を描くものとして、《 質量とエネルギーの等価性を示す E=mc》を発表している。

 ゆえに、E=mcは、アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein) の成果、となっている。

 
 

 ちなみに、Albert Einstein も Lise Meitner もユダヤ人である。

 E=mc2 の最初の実用例は、原爆であるが、その原爆は Albert Einstein も Lise Meitner も憎んだナチスドイツには使われず、嘗てよりユダヤ人に同情的で 外交官杉原の「命のビザ」などの度重なるユダヤ人救済を行ってきた日本人に対して使われた。

 E=mc2 の代表的な実用例である、原爆や原子力発電所のためであれば、Lise Meitner の研究成果で十分であった。

 Lise Meitner のレベルでは不足、Albert Einstein でなければ駄目、という例は、Stephen William Hawking,CBE が "The Grand Design" の中で、宇宙の創造を解くために利用したくらいではないか。

 Einstein は、

    「神はサイコロを振らない」

     (Der Alte würfelt nicht.)

といった。Einstein は、自分の物理学の研究が神に近づくことになると信じていた。

 その Einstein の研究成果が、Hawking の

     「宇宙の誕生に神は不要」

    ("One can't prove that God doesn't exist, 

     but science makes God unnecessary.")

という説を構築するために利用されたというのは皮肉なことである。