修士論文の骨子の組み直し | ガリ勉サラリーマン 極秘裏のブログ

ガリ勉サラリーマン 極秘裏のブログ

勤め人としての人生も黄昏期に突入。
しかし残りの人生、まだまだ長い。自分を楽しむ方向に転換してみた。

指導教官の問題もようやっと、解決しそうになりました。

本当か?;;;;;^_^A

まだ解らないのですが、一応、話は聴いていただきまして、手は打っていただけそうな感じです。

具体的には研究室の転籍です。

これでさらに差し戻しになったら、諦めざるを得ないかもしれないですね。
>修士 ;^_^A

と言う訳で、論文の骨子を編みなおしています。

調整にあたってくれた先生に、研究室の転籍にあたり、修士論文の単位の保証はできないと言われました。
;^_^A

まぁ、それはこの様なことがなかった場合も同じなのでいいのですが、数ヶ月間も揉めたり保留したりした上で出てくる言葉ではないとは思います。
;^_^A

私の都合ではなく、浪費した時間があまりにも大きすぎます。

学術界の常識は下々のものとはやはり微妙に異なる様です。

しかし、まぁ、それはそういうものだと呑み込みます。

正直、調整にあたってくれた先生には気の毒をしたと思います。

ここは素直に感謝いたします。m(_ _)m

それにしても、学校組織にも、もう少し社会性の様なものが無いとまずいと、この度は感じました。

研究室の教授は、いわば一国の王様で、教授がクロと言えばシロイものでもクロです。

そこを、傲慢にならずに自制できてこその知識人だと思います。

思いますが、そうではないという話も多く...
今回もそうではなかったケースです。
;^_^A

個人的には、教育機関にはもっと投資をすべきだと思うのです。

だがしかし、大学の研究室は減らしても良いのではないかと、率直にそう思ってしまいました。

これまでは、オーバードクターが多いことは日本の悲劇だと思っていました。

しかし、さもありなむ、と思わざるを得ない、今回の件です。

教授にこれほど社会性が欠けていたら、その下に長くいるほど弟子も一般社会では使い物にならなくなるだろうし、弟子をなんとかしようと言う責任感も、教授には無いのではないかと。

なんとなく、その様に想像してしまいます。

あくまで想像ですが...