#足し算命
【がんを生きる緩和ケア医・大橋洋平「足し算命」】やりきらんでええんよ/OVO
●”生ききる”ことは素晴らしいがそんな人ばかりやない
●やりきらなくてええんやないか、と考えることで随分ラク→「気ぃ楽に、心地よく生きられている」
「生き残したってええよと思っている。今日を、今この時を生きてるだけで十分や。」

 

大橋先生はお考えのところを、あまり包まずに記されるのですが、今回もそのようなものです。

 

生ききる、というのは美しい姿で感銘を受けるのですが、そんな立派にならんでええよ、というのが大橋先生。

 

生ききる、とは言うけれど、なかなかそんなかっこよくいかないものだ、ということですが、それでええ、と。

 

何に共感するかと言うと、ありのままの言葉と感性で吐き出されていること、です。

 

大橋先生とは特に面識があるわけでもないので、本当のところどうなのかはわかりませんが、記事を見る限り、そういうありのままでええやないか、という感性をひしひしと感じます。

 

30代の頃ですが、友人の結婚式でスピーチを依頼されました。

物凄く考えました。友人である新郎を喜ばせようとか、そういうことよりも、当たり障りなく、恥ずかしくないような、常識的な、そういうスピーチにしようと懸命に。

 

しかし、考えすぎて疲れたというか面倒くさくなりまして、紙に書いたものは読まずに好きなことを喋ろうと思いました。

 

ところがいざ当日になると、やはり恥ずかしくない何か、問題の無い何かを話そうと考えるようになってしまい、そうしているうちに自分の出番が。。

 

私、咄嗟に”そつのない自分”はあきらめて、アカペラでチェッカーズの「あの娘とスキャンダル」を歌いました。

ちょうど貨物用コンテナを改造したカラオケボックスが流行り出した頃、何度か新郎である友人とそういうところに行ったことがあるのですが、私は毎回歌ってたんです「あの娘とスキャンダル」。

 

その歌が思いのほか大うけして、それから会場の雰囲気が一変し、やたらとうるさい宴会会場みたいなりました。

それが新郎にはとても嬉しかったようで、今でも覚えてくれています。

 

結婚式のスピーチなんて、今まで腐るほど聞きましたが、覚えているのは、酔っ払ってボロ泣きした上立っていることも出来なくなった新婦の父親くらいです。

そういう人間のありのままの姿にこそ、何か心を揺さぶったり出来るようなものがあるんだなと思います。

私の歌がそうだった、というのはあまりに傲慢ですが、偶然そうなった事例とは言えます。

 

だから、かっこよく生ききる、辛抱強くやり遂げる、正しく生きる、なんて思わないで、ありのままの自分、ありのままの気持ち、ありのままの言葉や態度で生きる、それでこそ生ききることが出来るんだと私は思うんです。