#がん哲学外来
正しさより「優しさを選ぶ人」のゴール がんの悩みを乗り越えた人が手にする生き方 順天堂大 樋野興夫教授/東洋経済
「(人は必ず死ぬが)いつ死ぬかは誰もわかりません。わからないことのために生きている今を台無しにするのは残念じゃないですか。」

https://toyokeizai.net/articles/-/676454

 

死生観に関するお話になりますから、これは個々人の方々の考えがそれぞれ尊重されるべきであって、何かを押し付けたりとか、正解を提示したりするようなものではありません。

 

私自身、まだがんには罹っていないので、がん患者さんが直面している死への恐怖やそこにある死生観がどのようなものであるかは、完全に理解することは出来ません。

ただ、理解しようと懸命ではあります。

 

そのような中で、この記事を取り上げさせていただくのは、この先生が仰ることが、私にとってはやや価値観の転換を感じるものであるからです。

 

その言葉とは、

【抜粋】「いつか死ぬのは確実です。でも、いつ死ぬかは確率でしかありませんよ」
いつ死ぬかなんて、誰にもわかりません。そんなわからないことのために、生きている今を台無しにするのは残念じゃないですかと、暗に問いかけてみるんです。

 

もし私ががんの診断をされたなら、死を恐怖としか捉えず、それにおののいて、何もできないような日々になるのではと。
 
魔が差す、という言葉がありますが、「私ががんになったら・・・」で想像するのは、その魔に支配されるだろうな、ということです。
置かれた状態の中で最善な生き方を邪魔する存在、それが得体の知れない魔ではないかと思います。
それにやられて、もう心配と失望の中で延々と時間が過ぎるのだろうなあ、という。
 
置かれた状態の中での最善とは、例えば、がんに罹ったとしても、治療に専念し、心は前向きに保ち、心配したところでがんが良くなるわけではないのだから、あまり気にし過ぎずに生きることだろう、と想像します。
先述の魔にやられて過ごすよりも、治療成績が上向きそうな気もします。
お得、ということです。
 
そういう点で、この先生のお言葉は、思考をお得な方向に変えてくれる気がしました。