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配信:ヤフーニュース
【抜粋】
女子ボウリングで那覇市立鏡原中3年の砂川舞佳選手(15)は小学生の時に小児がんを克服し、中学で日本一になった。宇栄原小4年生だった2016年、全日本小学生大会女子4年生の部を制したが、その3カ月後に卵巣がんに罹患(りかん)。約4カ月の闘病生活を乗り越え、今年7月の全日本中学選手権で優勝した。20歳まで続く半年に1度の経過観察を受けながら米国への挑戦も視野に入れ、持ち味のスピードボールに磨きをかける。(運動部・當山学)
共に競技者だった父尚毅さん(52)と母優子さん(46)の影響で幼少からボウリング場に通い、小3から大会に出るようになった。小4の8月、楽しみながら出た全国大会で「思ったよりも点数が出た」とアベレージ180点超えで一躍頂点に。「もっとうまくなりたい」と、これまで以上にボウリングへのめり込んだ。
その年の11月末、突然の発熱にインフルエンザを疑い、病院で解熱剤をもらった。だが、数日たっても熱が下がらない。食欲はなくなり、おなかが膨れた。再検査で右側の卵巣にがんが見つかり、入院が決まる。「ボウリングができないのかな」。10歳の胸に不安が募った。
抗がん剤の投与が始まると食事の匂いをかぐだけで吐き、髪の毛がごっそり抜けた。苦しい中でもおしゃれを楽しむようにと、友人からもらった数々の帽子を毎日着け替えては写真に収め、スマホで経過報告した。「初めてのことだらけだったけど、先生や看護師たちが明るく接してくれたから」と笑顔を絶やさなかった。
体重が25キロまで減少
再び別の病魔も 女子ボウリングの砂川舞佳選手(15)=那覇市立鏡原中3年=が、宇栄原小4年生の時に患った卵巣がんの闘病生活は約4カ月に及んだ。見つかった腫瘍は手術で全て摘出したが、32キロあった体重は退院時に25キロまで減っていた。
「もう一度ボウリングをやりたい」との気持ちが心の支えだった入院生活。退院翌日にはボウリング場へ向かった。さすがに12ポンドのマイボールは重く感じたが、5ポンドから練習を再開。投げられることが何よりもうれしかった。
髪の毛が生えそろうまでは、帽子をかぶって大会に出場した。小5で出た全沖縄女子オープン選手権で最年少優勝を飾ると、九州や全国の大会でも着実に成績を残すようになった。
今年1月、コロナ禍で延期されていた全国中学選手権が行われ、2年生の中で最上位となる3位入賞。中学最後の1年間に向けて弾みをつけた。
直後、再び別の病魔が襲う。経過観察で見つかっていた腎臓の小さな結石が、半年後の3月には3センチ大になった。大会の日程と病院の予約状況が合わなかったためすぐには手術できず、6月末にようやく実施。三重県で開催予定だった国民体育大会の出場権を懸けた九州ブロック大会の直前だった。
狙う高校タイトル 海外挑戦へ夢は広がる
時速23~24キロだった自慢のスピードボールは20キロ程度に落ちたが、全国高校女王の稲福心衣奈(みいな)選手(中部商高3年)とのペアで出場権を獲得。さらに体力や球速が回復して迎えた7月の全国中学選手権は、12ゲームでアベレージ211点超えとなる2543点をたたき出し、2位に210点の大差をつけて5年ぶりの日本一に輝いた。「小学生の時と違い、今回は狙って優勝できた」と声を弾ませる。
砂川選手が生まれた時から、家族ぐるみで付き合いのある下地良信コーチ(47)は「大きな病に打ち勝っただけあって、この世代にはない意志の強さを感じる」と驚く。「元気にボウリングをするだけでもすごいのに成績を残してくれて、素晴らしい気分にさせてくれる」と目を細めた。
下地コーチから海外挑戦を勧められると、砂川選手は「強い選手がたくさんいるし、レーンコンディションも難しい。そんな米国で活躍し、下の世代も『活躍したい』と思えるような選手になりたい」とその気になった。優勝した大会に同行できなかった母優子さんは「米国に行くなら付いていきたい」と、娘の夢にとことん付き合うつもりだ。
コロナ禍で三重国体が中止になり、今はとにかく大会に出たくてうずうずしている。「高校でも優勝したいですね」。心身ともに強くなり、小中高三つのカテゴリーでタイトル獲得を目指す。