すきなのかな、どうなのかな。
という人がいる。
すごく気になってる。
惹かれてる。
けど、リョさんのいうとおり、
やっぱりわたしはややこしい方向にばかり、
足を踏み入れてしまうみたいで。
しあわせというものがなんなのかなんて分かんないけど、
しあわせには程遠い道ばかり進みたがってしまうみたいだ。
ばかだなぁ。
すきなのかな、どうなのかな。
という人がいる。
すごく気になってる。
惹かれてる。
けど、リョさんのいうとおり、
やっぱりわたしはややこしい方向にばかり、
足を踏み入れてしまうみたいで。
しあわせというものがなんなのかなんて分かんないけど、
しあわせには程遠い道ばかり進みたがってしまうみたいだ。
ばかだなぁ。
わたしが毎日のように「死」について考えとるんは、
「不変」への憧れのようなものが自分の中にある からなんかなぁ、なんて思った。
「死」って、それだけで絶対的でしょう。
それ以上にはなりえない。
ただの別れ以上の別れがそこにある。
不変っていうのはある種の人にとって、
というかほとんどの人にとってかもしれんけど、
「=死んでいる」といえるものであって。
わたしはいつも人に対して「不変」を求めてしまうから、
「死」に憧れとるんかもしれん。
「死」っていう絶対的な「不変」に憧れを感じずにはおれん。
他者の、自分の、この先を見たくないけぇ、
このままで時が止まって欲しい。止めてしまいたい。
そんなことばかり考えとる。
両国のDVD見とる。
志村は変わらずにそこにおる。
少し、うらやましい。