祖母は、叔母の家で亡くなった。大雪の日。私が受験の年だったから、その冬の初めあたりから叔母が引き取ってくれていた。理由は他にもあっただろう。
私の実家にあっては、祖母の居心地は間違いなく酷かったーーと今はわかる;その状況には私も加担していた。
彼女が、実の娘の家で帰天できたことは幸いであった。
実の息子に、その職業や肩書にふさわしくない行為を実施させてしまわないためにも、あのタイミングで旅立った。昭和ではまだ「普通」であっても、父は、それは絶対にしてはいけない立場にあった。
他者の居場所を奪い失くすこと/排斥することで、自分の「力」を確認しようとする類の人がある。
私の避難場所は「勉強」。世間的に「よいこと」であると見られているーーと、思われていたので、私は逃げ込むことが可能だった。
学問や勉強がことさらに好き、というわけではあるまい。嫌いでないのは確かで、どちらかといえば楽しい。が、他に楽しいことがあることも知っている。
祖母には、私の実家では居場所がなかった。最後の居場所になりえた私にも、くつろげる場所が学業にしかなかった。
戻りたくはなかっただろう。
よって、私も戻らない。
昨年の父の17年は、体調の事もあって欠席した;「月食だ!」と騒がれるときにしか月を眺めない人と、月について語る言葉を私は持たない。
・・・いいかげんこの melancholie から自由になりたいが。
おそらく一生影として付きまとうだろう。
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書いたのは2018年1月31日付だが、ここに置いておく。