「夢も希望もないし

生きる気力がないので30歳で死にたい」

 

 

こういう人に対して

アナタだったらどう思いますか?

 

 

私だったら時期が時期だけに

「オメーもかよ」

「ったく!何かって言えば死にたい死にたいってうっせーわ!」

「死ぬのは勝手だし別に構わないけど、死ぬなら絶対に他人を巻き込まず一人で死んでください」

って考えてしまうと思うんです。

 

 

でも鴻上尚史さんの返答を読んで、

「死にたいという人全員を

一括りにしてはいけない」ということと

「見方・考え方を変えることの大切さ」

「人の心に寄り添うことの大切さ」

を学んだような気がします。

 

 

必見です。

 

 

「30歳で死のうと思ってます」27歳男性に鴻上尚史が勧めた残り3年の“退屈しない過ごし方”

 

「夢もなければ気力もなく、漫画『ワンピース』が終わる30歳で死のう」と考える27歳男性。何かを頑張れたことがないという相談者に、鴻上尚史が勧めた「あと3年間の退屈しない過ごし方」とは。

 

【相談122】なにかに頑張れる気がせず、30歳で死のうと思ってます。この考え方はおかしいでしょうか?(27歳 男性 グナシ)

 

30歳で死のうと思ってます。

僕は今27歳でスーパーの精肉部門で働いています。ちなみに平社員です。理由はこれといった夢もなければ、気力もないからです。そもそも何かを頑張れたこともありませんし、別に会社での昇進も望みません。今になって何かに頑張れる気がしないですし、自信を持とうとも思えなくなりました。本や漫画、アニメやテレビを見る気力だってありません。

 

30歳という年にしたのは漫画『ワンピース』の最終回が終わるのが30歳頃という噂を聞いたからです。最終回さえ読めればそれでいいと思います。本当にそれだけです。

人生は長生きだけじゃないと思っているのですが、この考え方はおかしいでしょうか?

ご返答お待ちしております。

 

 

【鴻上さんの答え】

 

グナシさん。そうですか。30歳で死のうと思っていますか。「本や漫画、アニメやテレビを見る気力だってありません」という状態なんですね。

 

でも、『ワンピース』は好きなんですね。最終回までは生きていようと思うんですね。

グナシさんの文章を読んで、太宰治の言葉を思い出しました。

 

「死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った」

 

有名な文章ですが、この感覚はなんとなく分かります。

僕はグナシさんの文章を読んで、グナシさんはとても真面目な人だと感じました。おかしいですか?

 

だって、本や漫画、アニメやテレビを見る気力はないのに、「ほがらか人生相談」には、メールを送ってくれたんですもんね。

それは、自分の人生をちゃんと考えたからじゃないですか。

もし、グナシさんがただの「無気力」な人とか、いい加減な人なら、自分の人生がこれでいいかどうか、考えることも相談することもないと思います。

 

グナシさんは、「そもそも何かを頑張れたこともありませんし」と書かれていますが、ちゃんと毎日、精肉部門で働かれているんですよね。

「頑張れる気がしないですし、自信を持とうとも思えなくなりました」ということは、「頑張ろう」「自信を持とう」と以前は思っていたということですね。「頑張ること」「自信を持つこと」がとても大切なことだと考えていたんですね。

 

人生とは「頑張るもの」で「自信を持つもの」だと言われたんでしょうか。「昇進を目指すことが当然」と言われたのでしょうか。でも、自分は違うと思ったんですかね。

 

いえ、死ぬことをとめようとしているんじゃないですよ。

僕も「人生は長生きだけじゃないと思っている」ので、30歳で死ぬと決めることは、少しもおかしい考えだとは思いません。

それで質問なんですが、「夢もなければ、気力もない」状態で、グナシさんはどんな毎日を過ごしているんですか?

 

生きるために必要なことは「夢」でも「気力」でもなく、「退屈しないこと」だと僕は思っています。

頑張らなくても、自信がなくても生きてはいけるのですが、退屈したまま生きていくのは、とてもつらいと僕は感じています。

人生の最大の敵は、無気力でも夢がないことでもなく、退屈することだと僕は思っているのです。

 

「人生はしょせん、暇つぶし」という言い方があります。

僕はこの言葉を聞くたびに「うむ。どうやって暇つぶしをするのか、それが問題なんだ」とつぶやきます。

だって人間はすぐに飽きるでしょう。すぐにパターンを読んで、展開を予測して、飽きてくるでしょう。

もし、一生、退屈を感じない人生を送れたら、それはものすごく素晴らしい人生だったと僕は考えます。

 

「人生は終わりなき挑戦」とか「人生は創造の連続」なんて言葉もありますが、これはつまり「退屈したくないんだ」ということだと僕は思っています。

 

人類は退屈とずっと戦ってきて、それが政治になったり芸能になったり仕事になったり芸術になったり趣味になったりしたんじゃないでしょうか。

お酒とかネットとかギャンブルとか、何かに過剰に依存する人は、分かりやすい形で「人生の退屈」から逃げているのだと思います。

 

グナシさん。グナシさんは、毎日、何をして過ごしているんですか? 毎日、退屈していませんか?

本や漫画、アニメやテレビを見ないで、どうやって仕事が終わった後の時間や休日を埋めているんですか?

文面からまったく分かりませんが、僕はそれが一番知りたいことです。

仕事が終わって家に帰って、何もしないまま数時間過ごし、そして寝るという生活ですか? そんな毎日が可能なのですか?

 

「暇つぶし」は、「夢」とか「気力」とか「生産性」とか「創造性」とか、ポジティブなこととまったく関係なくていいのです。

 

『大東京ビンボー生活マニュアル』(前川つかさ)という漫画がありました。僕の大好きな作品なんですが、主人公のコースケは、毎日、何もしません。生活費がなくなるとバイトをしますが、それ以外は本当に何もしません。でも、退屈はしないのです。

 

ある連載の回では、寝っころがって、天井を見上げて、天井の木目の模様を見ながら「あ、これは宇宙船に見える」とか「犬に見える」なんて探して楽しんで一日が終わるのです。

別の回では、うとうとと寝ていて、聞こえてくる街の音を楽しみます。子供が遊んでいる声、誰かの歌声、誰かの足音。それを聞きながら、一日が終わるのです。

 

何もしないことがじつに豊かに描写された漫画でした。コースケは、いまのグナシさんと同じぐらいの年齢の設定です。頑張るとか気力とか昇進とか夢とかとは、まったく無縁の状態で生きていて、じつに充実しているのです。

 

僕はコロナ禍で苦しむこの1年ちょっと、毎晩、寝る前にエピソードの一回分を読んで寝ています。なんだか、とても落ち着くのです。

 

さて、グナシさん。

27歳のグナシさんにとって、30歳まであと3年あります。グナシさんがどんなに退屈しても平気な人でない限り、3年間、退屈したまま生きるのはとてもしんどいんじゃないかと思います。

どうですか? グナシさんはもう退屈しない何かを持っているのですか? それとも、ただ毎日、ネットをボーッと見ることで暇つぶしできているのですか? それとも、『ワンピース』を一巻から順番に毎日読んでいるのですか?

 

もし、退屈に苦しんでいるのなら、夢とか気力とか向上心とはまったく関係のない、何かに興味を持ってみるのはどうですか?

 

とにかく30歳までの3年間、退屈しないで生きられたら、それは素敵な人生だと思うのです。

その時にあらためてどうするか考えればいいと思います。

 

 

 

 

 

作家の読解力・観察力・洞察力・文章力・表現力を思い知らされましたし

鴻上さんの懐の大きさ・優しさ・思いやりの深さに感銘を受けました。

 

 

それと、生きていて一番辛いのは

「夢や希望がない」ということでも

「生きる目標がない」ということでも

「やる気がでない」ということでもなく

実は「退屈してしまうこと」

 

「人類は退屈とずっと戦っている」

つまり『人生は退屈との戦い』という点が

とても印象的でした。

 

まさに目から鱗という感じ。

 

 

よくよく考えてみたら確かに

裕福じゃなくても

仕事や家庭に不満があっても

人に自慢できるものが何一つなくても

自分が毎日楽しく過ごせていれば

それが一番幸せなんですよね。

 

 

 

 

 

それを元に自分の今の生活を考えてみたら・・・・

 

 

誰にも気を使わずに

大好きなDIYを好きな様に思い切りやれて

誰にも気を使わずに

大好きな翔平を好きな様に応援できて

書きたい時に書きたい様にブログを書いて

猫たちの世話しながら一緒に遊んで

仕事をする時は仕事に全力を尽くす

 

 

退屈してる暇なんか全くない私って

相当な幸せ者だったみたいですパー

 

 

 

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