小池百合子の嘘と陰謀に撃ち落とされた前都知事、舛添要一が彼女の学歴詐称を糾弾するぞ! | 心と体を健康にするダイエット法

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いつもありがとうございます。
ハッピーダイエットライフの船田です。
 
前都知事の舛添要一は、現都知事の小池百合子に撃ち落とされ、しかも40年間騙されていた。
 
前都知事の舛添要一氏は、私見ですが、政治資金疑惑で撃ち落とされた人だと思う。
 
おそらく小池百合子を都知事にして東京を安く買うために、舛添要一のグレーな部分を追求して都知事を撃ち落とした計画的な陰謀があったのだと思っている。
 
船田の関連記事にも書いたけど、ごぼうの党たかし氏が言っているように、永田町界隈で、自分の体と嘘でのし上がってきた闇権力と仲良しの小池百合子のやりそうなことです。
 
だから舛添要一の糾弾は真実味がある。
 
この記事は、小池百合子の学歴詐称について、かなり詳しく書いてあるのでお勧めです。
 
小池百合子がこれ以上、東京都知事として政治をすると、日本と東京の未来が破滅的になる。
 
都知事もダメだけど、国会議員になるのもダメだ。
それこそ、舛添要一氏の言うように、早く引退してほしい。
 
 
写真は舛添要一氏のXから
 
今回の記事

 

船田の関連記事(かなり辛辣です!)

 

 
なぜ成績証明書を公表できないのか
 
告発記事を4月10日発売の『文藝春秋』に掲載したのは、小池が特別顧問を務める「都民ファーストの会」で政務調査会事務総長だった小島敏郎弁護士である。
 
2020年5月下旬に学歴詐称問題が持ち上がったとき、小島は、苦慮した小池から相談を受け、「カイロ大学から声明文を出してもらえばよい」と提案したという。
 
 それを受けて、6月に小池から依頼された元ジャーナリストが小池の卒業を証明する文案を作成し、3日後にそれとほぼ同じ内容の声明がエジプト大使館のフェイスブックに掲載されたという。
 
その効果は絶大で、学歴詐詐称疑惑は沈静化し、7月の都知事選で小池は圧勝した。 小島は、「カイロ大学を卒業していないことについて相当な理由があると判断した。自分は偽装工作に加担してしまったのではないか」と述べている。
 
 これに対して、小池は、4月12日の定例会見で、「卒業証書や卒業証明書は公にし、記者会見や都議会などでも説明してきている。選挙のたびに記事が出るのは残念だ」と反論した。
 
 しかし、その卒業証書などが正式に発行されたものではなく、エジプトの大学事情に詳しい論者が指摘するように捏造されたものであれば、問題は解決されない。
 
エジプトでは、証明書類の偽造は日常茶飯事だという。 まともな国のまともな大学なら、卒業証書も成績表もすべて完全な形で残っているはずである。
 
私は、1967年6月30日(東大紛争のため、卒業が3ヵ月遅れた)に東大法学部を卒業しているが、手元に卒業証書も、全学期の科目別成績表もある。コピーではなく、いつでも1枚しかない現物を見せることができる。
 
カイロ大学文学部社会学科卒というのなら、どのような科目を、どのような成績(日本では、優・良・可・不可)で学習し、何単位取得したかを明確に記された成績表があるはずで、それを公にする必要がある。
 
彼女には、それができない。 小池は、どのような科目を履修し、どのような知識を獲得し、どのような成績評価を得たのか。また、同期のエジプト人の学友は一人もいないのか。 
 
彼女は、詳細は語らず、後述するように、先生から「非常に良い成績だったと言われた」としか言わない。詳細は言えないというのは、本当に学業を終了して大学を卒業したどうかは分からないということである。 
 
マスコミが作り上げた「虚像」
 私の略歴は、ホームページのプロフィール欄に記してあるが、東大法学部を卒業して、同学部の助手になり、1973年9月~1975年6月にはパリに、1976年9月~1978年6月にジュネーブに留学した。専門のヨーロッパ政治史を研究するためである。帰国後、1979年4月に東大教養学部の政治学助教授に就任している。
 
1981年5月にフランスで社会党のフランソワ・ミッテランが大統領に就任したため、日本でもフランス政治への関心が高まり、専門家として私もマスコミに登場する機会が増えた。
 
当時の人気キャラクター、竹村健一のテレビ番組にも出演したが、その場で、竹村のアシスタントとして活躍していた小池を紹介された。
 
エジプトのカイロ大学を「首席で卒業した」ということであり、もの凄い才女がいるものだと驚愕したものである。 
 
私は、パリ大学の大学院で勉強したが、フランス語を母国語とするフランス人学生を押しのけて首席になどなれる自信はなかったからである。 
 
ジュネーブに移ってからは、フランス人女性と結婚し、妻の家族と同居していたので、四六時中フランス語しか話さない生活をしており、フランス語にも磨きがかかったが、それでもフランス語圏の大学を首席で卒業するなど、ありえないことであった。 
 
小池は、1982年には、『振り袖、ピラミッドを登る』という本を出版し、私にも一冊自分のサインを入れて渡している。
 
その本の略歴案には「1971年、カイロ・アメリカ大学・東洋学科入学(翌年終了)。1972年、カイロ大学・文学部社会学科入学。1976年、同卒業」とある。
 
因みに、カイロ・アメリカ大学には東洋学科というのは存在せず、ここでも嘘をついている。
 
 政治学の分野で、アメリカやイギリスに留学する日本人が多かった時代にフランス留学というのは珍しく、かつては私もマスコミにもてはやされた。
 
まして、エジプトの大学で首席卒業となると、ダイヤモンド並の希少価値を持つ。彼女は、「カイロ大学首席卒業」をセールスポイントにして、出世の階段をまっしぐらに駆け上がっていった。
 
現代新書編集部編『外国語をどう学んだか』(講談社現代新書、1992年)という本がある。外国語が上手い(と世間に思われている)人の体験談がまとめられている。
 
私はフランス語について記したが、小池はアラビア語に関し「19歳の夢はカイロ大学」というタイトルで文章を書いているが、経歴欄にはエジプト国立カイロ大学社会学科卒業、そしてアラビア語講師とある。 
 
この文章や経歴を見れば、彼女がアラビア語の大家だと誰もが信じてしまう。 「19歳の夢はカイロ大学」という文章の中には、「5年後、カイロ大学を卒業」(210ページ)と記されている。
 
つまり1977年に卒業したはずだが、1976年に発行されたとする「卒業証書」を公開している。 どこまでが嘘でどこまでが本当なのか、皆目分からない。 
 
なぜ「首席」なのか 
 外国の大学、しかも難しいアラビア語の大学を首席で卒業するなど、私には想像もできなかったので驚愕したが、小池はへらへらと笑いながら、「学生は一人だったの。だから首席、そしてビリでもあるのよ」と私に説明した。40年以上も前のことである。
 
ところが、2018年6月15日の都知事記者会見では、全く違う説明をしている。
 
 記者: では、首席卒業されたということは、はっきりと断定はできない、難しいというところがあるということでしょうか。
 
 知事: 非常に生徒数も多いところでございますが、ただ、先生から、「非常に良い成績だったよ」とアラビア語で言われたのは覚えておりますので、嬉しくそれを書いたということだと思います。 
 
首席というのも嘘、学生が一人だったというのも嘘であることを公式に明言したのである。何十年間も騙されていたことは不愉快であるが、それよりも学歴詐称は公職選挙法上の虚偽事項公表罪に相当する。 
 
今回の側近の暴露によって、1976年に小池が同大学を卒業したというカイロ大学の声明が、政治的な工作であることが明白になった。 
 
エジプトという外国に、借りを作り、負い目を感じる政治家が国政に復帰することはできない。外交で国益を損なうからである。
 
 40年以上も前に小池の嘘を拡散し、その後も小池のマヌーバーに操られて彼女を褒めそやしてきたマスコミも共犯者である。
 
まさにポピュリズムの極みである。アメリカでは、トランプの再登場の可能性が高まっているが、トランプ現象もまた、ポピュリズムの典型である。
 
 しかし、トランプと小池の間には決定的な違いがある。トランプが、メキシコとの間に壁を作る、TTPやパリ条約(地球温暖化対策)からの撤退など、賛否はさておき、大胆な政策を実行に移したのに対し、都知事としての小池はほとんど新しい政策を展開していないことである。
 
 豊洲市場への移転、東京五輪の経費削減、防災対策、都市計画など、前知事の私が始めた政策を否定することに精力を傾けてきた。また、新型コロナウイルスの流行に際しても、自分の人気をあげるためだけのパフォーマンスに終始した。
 
都庁の役人にとって、何も新しい政策を実行しない都知事は大歓迎である。自分たちの好きなように都政を動かせるからである。
 
東京は、ニューヨークやロンドンのみならず、アジアのソウル、上海、北京にも遅れをとっている。
 
 東京に続いて、小池百合子が日本国を沈没させる愚は避けなければならない。
 
嘘から始まった政治家人生に終止符を打ち、政治の世界から身を引くことが、本人のためにも、そして日本のためにも最善の選択である。 
 
舛添 要一(国際政治学者)