指揮者の小澤征爾氏が死去。日本の地位を上げてくれた恩人か!? | 心と体を健康にするダイエット法

心と体を健康にするダイエット法

新型コロナ時代に免疫力を上げて健康に生きてゆきたい。そんな中高年のダイエットは健康法と美容法とアンチエイジングを兼ねた方法が必須です。過食と体調不良を改善してウイズコロナ時代に楽しく続けることのできるダイエット法を提案しています。

いつもありがとうございます。
ハッピーダイエットの船田です。
 
指揮者の小澤征爾氏が死去されました。
 
私の少年の頃から、世界の小澤と言われた指揮者ですが、単なる音楽家という枠ではなく、日本人の可能性と地位を上げてくれた恩人だと思います。
 
戦後の日本人が自信がない時代に、日本人が世界で活躍しているというのは、どれほど勇気が湧いてくることだったか。
 
本当にありがたい人だったと思います。
 
ご冥福をお祈りします。まことにありがとうございました。
  
以下、苫米地英人氏のXよりシェアしました。
 

 

 

 

 
 
苫米地英人氏のXより
 
 1970年代初頭12、13歳の頃夏学期だけニューヨークミリタリーアカデミーで学んでいた。そこから両親に連れられてボストンフィル日本人指揮者のセイジオザワを拝見にタングルウッド野外音楽堂に。芝生の離れたところから小さくしか見えなかったけど、当時の私は日本人の活躍が凄く嬉しかったのを覚えている。 
 
あの頃はタングルウッドのあるマサチューセッツ州の田舎は人種差別が残っていて、モーテルになかなか泊めてもらえなくて柔和な父親が珍しく憤っていたのを覚えている。
 
私も当時何らかの才を見出されて飛び級して大学数学まで学び、大切にされていたと感じていたが、ニューヨークからマサチューセッツの田舎に行くと日本人も差別される側と知った。タングルウッドでは、Vacant(空室有)のモーテルのサインが父親が行くとOccupancy(満室)に代わり宿泊を断られた。一晩、宿探しに苦労したのをよく覚えている。今のようにネット予約とかの時代ではない。
 
そのタングルウッドでの主役は日本人のSeiji Ozawaだった。
 
私のゴールは戦争と差別を無くすことだが、その原風景にSeiji  Ozawaの野外音楽堂の指揮台で飛翔する姿と、タングルウッドでの原体験が間違いなくある。
 
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
 
「世界のオザワ」は、私にとっても大変大きな存在でした。
 
苫米地英人