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こんにちは、葉子です。

「左ノ 葉子」と書きまして「さのようこ」と読んで下さい。

 

【本ページの目次】

 

◆ご挨拶

●ブログで発信していきたい事

■本記事、小学生の時の記憶⑭:【意外と楽しい入院生活】

 

◆初めして、ヘルスコンサルタントの左ノ葉子(サノヨウコ)のブログへお越しいただきまして有難うございます。2013年に独立し小さなサロンをオープン。お客様のお悩みやご希望を効果的に叶える施術・セッション・Zoom講座をしております。

 

●気が付いてみると、私の第2の人生(独立して)あっという間の7年でした。

新型コロナウィルスの自粛期もあり、サロンでの劇的な実例を交えてお役に立てる事を発信していければと思いブログをスタート致しました。対面でお会いしていない方に私のメッセージが届くのかしら…と言う事で、私の事を少しでも知って頂ければと幼少の頃の記憶をたどる事となりました。ここからは小学生の時のお話になります。

 

 

■小学生の時の記憶⑭:意外と楽しい入院生活

 

こんにちは、葉子です。

 

前回の続きです。盲腸の診断が遅れ腹膜炎にまで重症化してしまいました。

 

病院での生活は角部屋とは行かず、角の窓際のベットに(好条件ですね💖)

 

子供にとって新しい環境は興味津々で刺激的でした。

 

盲腸の術後の痛みもありましたが回診の時の消毒以外は楽しく過ごせていた

 

様です。

 

小さな女の子って事もあり看護婦さんや入院患者さんも可愛がってくれていました。

 

洗濯後の包帯を一緒に巻いたり、看護婦さんのお部屋に行ったりと非日常を満喫して

 

いましたね。

 

私の父は非常に子煩悩(こぼんのう)です。

 

入院中、お風呂に入れないので洗面台で髪の毛を洗った記憶が残っています。

 

ちょうど同じ時期、6歳離れたお兄ちゃんが向かいの接骨院に通って言いました。

 

接骨院が終わると私の病院に顔を出したりと。。。

 

子供心に母が着ている黒のスカートがカッコイイと感じたのも病院のお見舞いの時です。

 

病院には父の仕事の関係の人がお菓子やお人形を持ってお見舞いに来たり、小学校の

 

同級生からは絵や手紙が届いて特別扱いを満喫していました。

 

クラスの全員から手紙や絵を書いてもらうだなんて、日常ではなかなかありません!

 

母に言われて皆に返事を書いた記憶があります。

 

術後は3日間ほど?点滴のみでオナラが出るまで食べれなかった?様な気がします。

 

やっと食事が食べられるようになりましたが、病院の食事は口に合わなかった様です。

 

それまで大嫌いだった竹の子ご飯をお兄ちゃんが自宅から持って来ていたようです。

 

何と竹の子ご飯の美味しい事、入院を境に竹の子ご飯が大好物の一つになるとは

 

思ってもいませんでした。

 

もっとも入院生活で辛ったのは診察の時でした。

 

管から薬を入れ膿の出たガーゼを変え消毒します。

 

だんだん治癒してくると傷口も自然と塞がって(ふさがって)きます。

 

管を体内から引き抜くんですが体の一部として組織がくっついてきて痛みを伴いました。

 

管はまとめで全部ではなく、様子を見ながら1本づつ減らしていってました。

 

あの時の私に一言👆:心細いよりもたくさん新しい体験をしましたね。

 

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