
私がいろいろと節目?を感じるのは誕生日です。
ひとつ歳を重ねたと同時に、その時の自分をできるだけ客観的に見つめて、今後の方向性を考える節目です。
基本的に毎年、「私はこのままでいいのだろうか」と思っていますから。
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みたいなのを見るたびに、自分には関係ないな〜なんて思っていたんですけれども。
そもそも、快適で充実した日々であっても「あれ?何か足りないかも?」という感覚が、ふとした瞬間にあったり。
その度にパートナーや日本の家族に相談して、というかただただ結論の出ない話を聞いてもらって。
そしてようやく、40目前にして悩むことともサヨナラできそうです。
スイスではたった一人では生活していくこともできない(ていうか、別にしなくてもいいし求められてもいないんだけれども)、そんなのが日本での生活とは違いすぎて、慣れるのに時間がかかったという感じでしょうか。
2017年アルバイトを始めてからは、「働き始めて人生変わったね〜」とあまり知らぬ人から言われたこともありましたが、確かに変わりました。
習ったドイツ語をやっと使える時が来た、と思ったし、何より6年ぶりに社会的役割をまた取り戻したことは大きく、24時間のうち「やらねばならぬこと」がある方がダラダラせず、効率的に時間を使おうという意識が働くので良かった。
「忙しいことがモチベーションになっている」と誰かが言っていたけど、暇で時間のあるときに限って人はいろんな無駄なことに時間を使ってしまいがちなのであーる。←誰?
人というのは、得たものの大小に限らず、ひとつ目の前にあるものを乗り越えると、また新しい目標が出てくるものだなぁと言う気がしますが、きっとそれは万人共通認識ではないですね。
別に、悩みや目標がない人もいるし、でもそれを悪いことだとも思わないし、育った環境や思考回路の違いでしょうか。
少なくとも私は悩んでしまうタイプだのなぁ。
特にコレといった決まった自分の姿がないから、いろいろと模索して、それからまた決める。
でも、もうこれまでのようなフラフラな位置付けでは、スマートな老後までのロードを築ける気がしません。
今後は起こり得る問題も複雑化しやすい年齢。
仕事での先行き不透明感に加えて、家計、年老いていく親の問題も出てくるかもしれないし、友人知人だって海外にいたら離れるのは日常茶飯事。
もっと悩みは複雑になっていくだろうし、私が最近思うのは、
健康第一

これ、間違いない

自分の人生の目標達成のために、できる限りの努力をしたいと思います。
とりあえず、「コイツは絶対に走れない」と思われても不思議ではない現在のブヨブヨボディを何とかする夏にしたいと思います。
走るの嫌いだけど、走れない奴とは思われたくない


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