もう、知らない人はいませんね。
どこにでも通じる、人生の教訓。
そういうものを、たくさん残された気がします。
愛。
他の家族、しかも会ったことのない人から感じることは、あまり無いんですが、ブログなどから、ご家族の絆の強さ、感じていました。
「辛い時でも、いつも主体的にものごとを見て行動する夫に助けられました」
一語一句そのまま、ではありませんが、こんな内容のことを、麻央さんは語っておられました。
また、病で痛みもひどく、将来のことを考えると襲ってくる不安の中にいても、その当事者であるからこそ分かること、気づけたことがある。
「病気になる以前とは、考え方、感じ方が大きく変わった」
ことも話されていました。
この方は、どこまでも前向きで、生きる力に溢れていて、ニュースなどで目にするように、人間の枠を超えたような優しさと思いやりに溢れた方だったのだと、知りました。
そして、とても強い。
優しさ、奥ゆかしさ、そして強さ。
考え方の転換の仕方、なかなか出来ません。
だからこそ、ご本人や海老蔵さんの涙がまた、しみました。
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そして、スイス生活6年目。
今回の訃報、自分のいる状況や考えていることを、再度、見つめ直す機会となりました。
日本にいてたら、いろんな事がもっと簡単で、今みたいに自分を振り返ってみるって、あまりしてないと思う・・・
さて。
普通はみんなそうですよね。
今目の前にあることに、囚われがちになるし、辛いことは避けたいし、逃げたくなる。
けれど、後から振り返った時に、逃げたこと、やらなかったことを後悔するかもしれない。
しかし、その渦中では分からない。
だからこそ、今、できる事を精一杯やるしかない。
自分のまだ見ぬ将来に向かって、一歩ずつ進む、その一歩を大切にしなければならないこと・・・
人生は、誰もが課題を持って生まれてくる、という考え方がありますね。
私の使命はなんなのだろう、と考えたことはありますか?
使命だなんて、そんな、大それたことなんて、言えないかもしれないし、人によって感じ方はそれぞれだけども、麻央さんも海老蔵さんも、その周りにいる人たちも、やっぱり、人生の目標と、それに向かう行動力と思考力を持ち合わせている、そんな目に見えないパワーを感じていた。
何かしら、人は役割を持っているもの。
お二人は歌舞伎役者と、歌舞伎役者を夫にもつ妻だったけど、そんな人前で光るものでなくても、職業人として、家庭人として、子供を持つ母として、自分のいる小さな世界でもいい、その中で、精一杯に、幸せを模索しながら生きたい。
役割の有無はきっと、今後の行く末の充実度も変える。
何でもいい、どうでもいい、なんて投げやりな態度では、産まれるものが違う。
海老蔵さんが言ったように、残された者たちは、先に進むしか無い。
私たちは、生きているけれど、生かされてもいるのだから。
自分がどうしたいのか、どう生きたいのか・・・
もう・・・。
私は最近の自分を振り返って、自分で自分が恥ずかしくなった。
一生懸命、生きていた麻央さん。
歳も変わりません。
私はただのぬるま湯で、何してんだって、行動を起こす際の腰の重さに、自分が情けないです。
個人の中での葛藤。
それは、どんな状況で、どこにいたって、誰といたって、あるんじゃないでしょうか。
無いなら、それはそれで、幸せ。
だけど、あるなら、それもそれで、幸せ。
次のステージに上がった、と思えばいい。
それでも、その時、その瞬間を無駄にしない。
そんな、人生を歩んでいきたい。

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すぐに忘れてしまう。
自分の感じた緊張感、保っていきたい。