極端に楽しかった事、悲しかった事などは覚えているけど、それでも細部まで覚えているわけじゃない。
スイス生活2年目の頃、結婚の話が出た時の頃に書いたブログを読み返してみたら、今とはまた違う考え方をしていて面白い。
・結婚はしてもしなくても、どっちでもいい
・相手のことをもう好きになっているから別れる気はないけれども、結婚するとスイスに縛られる気がして嫌
・30歳にもなって、やってることが語学の勉強と主婦業だけという焦り
・年齢による就活への不安と焦り。しかし、ドイツ語ゼロのため、学ばなければいけないというマスト感
まとめるとこんな感じで、なんだか、結婚という人生の一大イベントを前にして、浮かれ気味がまったくない・・・
メルヘンな心は少女時代の忘れ物のワタス・・・
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そんなこんなで、あれから4年。
振り返ってみると、ドイツ語に対してじっくり腰を据えて勉強したことはかなり良かったものの、自分の目指した職種での就職先は見つけられなかった。
信頼の置ける人達から、「ノーチャンス」とはっきり言われて、落ち込んだわー。
なんなら、ドイツ語をゆっくり学びすぎて、就職の機会を失ったと言ってもいいかもしれない。
みんなだいたい、急ピッチでドイツ語を習得していくのに対して、私は亀のようにのんびりとしておったわけで・・・
今はというと、現実を受け入れ、パートナーや義理の両親に支えられて、当時の焦りはどこへやら、もう完全に波風すら立たぬ、のんびりモードで生活して、今度はそのことに焦りを感じ始めている次第です。
もうちょっといろんなことに、頑張りたいと思うこの頃。
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結婚に対してはというと、今でも大方、考え方は変わっていない。
語弊がないように書くと、結婚して良かったと、心の底から思う。
とても大切にされている感じはするし、だからこそ私も相手を尊重しようと思える。
良い関係だ。
けれど、労働許可というハードルがなければ、結婚なんてしてもしなくても一緒じゃないか、という考えは今もある。
労働許可があることと、家族として相手の名前を名乗ることで、一致団結感が出るという気持ちの部分を除けば、結婚する前と後では、正直何にも変わらないわ〜!!
昔は抱いていた、スイスに縛られるのが嫌という感覚も、むしろスイス好き!となっているので、問題なし。
あと、スイスに恋愛がきっかけで来るほとんどの人がそうだと思うけれど、スイスに来る = 結婚 = 一緒に住み始める、という構図。
住むところが、彼氏/彼女、または、旦那/妻の家しかないわけだけども、急に、しかも外国で他人と暮らす環境に置かれることによるストレスは半端ないから無視できない。
結婚してるからといって、そのストレスは軽減されるものでもない。
それよりも、一緒に住んでみるとお互いのことが良く分かるため、同棲というのは素晴らしいと、経験してみて思ったわけです。
「結婚前にそんな・・・」と思っていた私も、そんな考えは吹き飛び、やっぱり人は結婚する前に一度は一緒に住んで、相手と自分のすり合わせを行った方が良い。
後から違ったと思えば、別れればいいだけの話で、半年、一年とたつと、人は隠しきれない部分を露呈してしまうと思うのは私だけだろうか。
そんなこんなで、考え方は変わり、人はまたその時その時の新しい環境に、自分を合わせながら順応するという、「適応能力」というのも持ち合わせているのだな、と不器用な私でも思うのである。

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Anpassungsfähigkeit
ドイツ語で「適応能力」。
この単語好き。
パートナーに意味を聞いたら、anpassen する、Fähigkeit (能力) のことだよ、なんて、説明を受けて、ふざけるなっ!と思った思い出深い単語(笑)