ベルリンに行っておりました。
ベルリンなんてドイツの北部は、なかなか行く機会がなく、行きたいと思ったことも正直なかったけれど、パートナーの親友の奥さんがそのあたりの出身のため、郊外で行われた結婚式参加に合わせて、ベルリン観光もしてきた。世界史に興味のある人にとっては、とても興味深い場所なのでしょう。私もヨーロッパに住む者として世界史を少し勉強したいなと思い始めていたから、今回の旅はとても勉強になった。
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ベルリンと言えば、ベルリンの壁。
1961年に現れてから、1989年の崩壊するまで、つまり、東西冷戦終結までの28年間、この約3メートルほどの壁は存在していた。東ドイツと西ドイツ、ドイツを分断する壁。
崩壊の翌年以降、地価の大幅下落から多くの芸術家が移り住み、『イーストサイドギャラリー』として現在も当時から残る壁には、様々な絵が描かれている。
テーマは「平和」と「解放」。
上から
壁を乗り越える人
裸の子供と老夫婦
鎖に繋がれた手とその先に白い鳩
保護のため、壁全体がこんな風にフェンスて囲まれていて、フェンスの中に手を突っ込んでスマホ撮影する人もいたけど、それじゃ近すぎて全体像が分からない・・・よ?
フェンスが付いていないところは上から落書きがひどく、何のこっちゃ分からない。
残っているものの上に、旅行者がまたベルリン観光記念のつもりだろうか?
そんな記念、いらん。
ポツダム広場に残る壁はこんなことに↓
一部残された壁
写真では分かりづらいが、これ、丸めて押し付けられたガムだらけ・・・。近づくと気持ち悪い・・・

ガムと一緒にビールの蓋だとかが貼り付けられてたり、何てことするのかね、まったく。
こんな風に壁が残っていない場所でも、かつての壁の位置がわかるように、石が埋められている。見つめていると、壁が永遠に続く気がした。その石段の両側ん境にとんで遊ぶ子供を見ていると、平和だと感じる。
近くに立つと、結構高い
分かりづらいが、壁の上に止まる鳥の尻尾が見えるだろうか。
こんな風に下から壁を眺めて、ただ分断されて呆然と立ち尽くす当時の人たちの気分を想像してみた。家族や親戚がバラバラになったんだろう。壁を乗り越えようとする人たちがいて撃たれて亡くなった人たちのことも、『チェックポイントチャーリー』でパネル紹介されていた。
DDRの文字が見える
DDR(Deusche Demokratische Republik)とはドイツ民主共和国のことで、東ドイツのこと。それに対し当時の西ドイツ(現在のドイツの正式名称)はBRD(BundesRepublik Deutschland)ドイツ連邦共和国と呼ばれる。
ソ連に占領された東側と、アメリカ、フランス、イギリスに占領された西側に分かれていた冷戦当時、ベルリンはソ連に支配されていた領土にポツンと残る、アメリカ領の離れ小島だった。首都であるベルリンを、アメリカもソ連も手放したくなかったのだろう。
社会主義であったソ連に支配された人々の暮らしはままならず、西ドイツへと逃げる人の波がと東ドイツからだけでなく、隣国からも止まらず、無理やり壁を作って人の動きを封じた。何という勝手な話か・・・
「YOU ARE LEAVING THE AMERICAN SECTOR」
と看板に書かれている、ここからはアメリカ領ではなく、ソ連領という意味だ。
この様にベルリンの随所に壁が残され、歴史に触れることができる。
教科書でしか触れたことのなかった現実に触れるのは貴重な体験だ。
現時点ではベルリン市の文化財で世界遺産ではないようだけど、やはり負の遺産のイメージは強い。それだけ、背後に人間の愚かな部分が垣間見えるから・・・

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