先日、スイスで初めて、お葬式に参列してきた。
しばらく前に、ご近所のおじいちゃんが事故で意識不明になってから、約一週間後に亡くなったんです。
スイスドイツ語が分からない私は、いつもおじいちゃんの犬の散歩の行き帰りにすれ違い、「おはよう」「こんにちは」の挨拶を交わしていただけだったけど、優しい人であることは、にじみ出ている人だった。
特に、妻である、おばあちゃんとはとても仲が良くて、キャンピングカーでヨーロッパを網羅していたほどの旅行好き。
犬をつれてしばらく留守をし、キャンピングカーが駐車場になかったら、ただ今旅行中だな、と一発で分かった。
だから、そんな風にいつもそばにいた人の死が突然、何の前触れもなく訪れて、おばあちゃんは悲しみにくれている。
おばあちゃんの顔を見ているだけで、本当に可哀想に思えてくる。
こちらでのお葬式は、キリスト教に則っているもので、仏教のそれとは、まったく違った。
お葬式までの間に、遺体を家に寝かせてあげることはしないし、お葬式て火葬にまわすこともなく、お骨拾いもしない。
だから、お葬式に行くと、すでに焼かれて灰が入った木製の壺みたいなのが、写真の横に置かれていた。
よく、海外ドラマで見る、棺のまま埋めるというのではなく、火葬が主流のようだ。
お葬式では、故人がどういう人であったか、人生の遍歴を家族が述べるところは、日本と同じでした。
けど、日本じゃ絶対にないな、というところは、故人親しんでいた音楽を流していたこと!
「それでは今から、夫婦でよく口ずさんでいた音楽を流しますので、聞いてください」
なんて、日本のお葬式ではあり得ないでしょう。
日本では四十九日目に納骨ですが、こちらではお葬式の日に納骨、いや、納灰です。
その際に、参列者全員が、スコップで少し土を拾って、お墓に落とすのがあります。
あまり、死というものに近さを感じない葬式のスタイルでしたが、お墓の正面に立ったその時ばかりは、死の重みを感じました。
その後、お経のようなものもないので、一時間ほどで終了しました。
日本と比べると、やはり、故人の顔を直接見ないこと、菊などの格式張ったお花ではなく、わりとポップな花束が飾られること、墓地も写真やお花畑のようで、荘厳という雰囲気ではないことなどから、確かに悲しいんですが、あまり死というものの恐ろしさは感じない葬式でした。
故人とそれほど親しくなかったということもありますが、将来、国際結婚をした自分は、スイスで息絶えるのかな、こんな風にお葬式になるのかな、なんて思いを馳せた一日でした。