月曜日から水曜日にかけて、私と彼は、ケンカ・議論してました。
お互いに平和主義なところがあるため、普段あまり言い争ったりしないけど、
今回のは今まであった中でも最も重く、最も深く、最も後を引くものだった。
私としては、あまりにトピックが個人的かつ、大きすぎてここでは書けません。
これからの2人の関係を壊しかねないほどの大きなことのため。
けれど、ケンカや議論をすることは、やはり2人にとってはとても重要なこと。
それを今回は実感しました。
具体的な内容を含まず、抽象的な内容で話が進みます。
相手を目の前にして、何を言っていいか戸惑うことってある。
聞く耳があればいいけれど、相手が行為を正当化している場合、たちが悪い。
こちらがどんなにまともな事を言っても、響く気配がない。
本人が良いと思ってるんだから、変わろうとする雰囲気がない。
この場合のまともな事というのは世間一般でいう常識の範囲内のこと。
誰が決めたか、人には道徳というものが自然とあり、それにそれるものは非常識。
だいたい、非常識なことを常識と捉えて平気で行う人たちに、常識など通用しない。
私は今回、これを痛感した。
そして、人を納得させるというのは、非常に難しいことも。
話をしていると、
「日本とスイスでは、状況が違うから」
と言い、問題をそらそうとする。
話のポイントが、違う文化的背景を持っていることによって、ずれてくる。
そのずれた中心を戻すのも、大変。
そして最終的には、頑なな意見を持った人を動かすのは、結局は人であるということ。
大切な、守りたいと想える存在があれば、我にかえれるきっかけになる。
話し合いの末に、約束をとりつけた。
将来において、話し合いの原因となったことを、「もうしない」と。
しかし、私はそれを信用することができない。
何故なら、今回の話し合いの中で、
今まで見たことがない彼の一面を見た気がしたから。
正直にいうと、怖かった。
狂って叫んで、暴れてるからじゃなく、考え方が怖かった。
自分とは、相入れないと思った。
交われないと思った。
彼は誓う。
けど、今後いつ、私とは対極にある、その彼が現れるか分からない。
そう思うと、人しれず不安になってくる。
一緒に暮らしはじめてから、早、一年と二ヶ月。
毎日一緒にいても、分からないことはまだまだあるもんだなと思い知らされた。
負の部分というのは、敢えて自分から話さないし、
聞かれなければ、答える必要もないもの。
だから、敢えて、話したくないことでも、話し合いは持った方がいいと知った。
それから。
何か話し合いがあり、特にそれに関して自分の意見があるときは、妥協しないこと。
そして、絶対に折れてはならないことがあること。
学んだ。
翌日の水曜日、チューリッヒに出て、友人に話を聞いてもらったら、
少し楽になり、気が晴れた気がした。
こういう時、日本にいる友人を頼りたいけど、会って話せないのが何より悲しい。
時差もあるから、嫌になる。
★本日の買い物★
こっちのスタバでは、お会計時に名前を聞かれてカップをもらう時に呼ばれます。
本日も、とんでもない名前になっていた。誰一人として、まともに名前を
書いた人は、今までいない…
そんなに、難しいんかゑ???
本日、Sprüngliという、チューリッヒ中央駅からど南北に走る、
バーンホフ通りにあちこちあるチョコレートショップにて、
イースターバニーを買いました。
なんとも言えず、かわいい表情です。