↑と書くと

まるで痔が治ったような書き方だが

ハッキリ言って芳しくない。

じゃあ病院行けよ、という声が聞こえてきそうだが

逆に聞こう。それでいいのか?と。

Q:痔が痛い

A:病院行け

なんとこの情緒のない受け答えか。


将軍:では一休、絵の虎を捕まえてみろ

一休:わかりました。では将軍様、虎を絵から追い出してください

将軍:うっせえ打ち首じゃあ

一休:ギギギ


まさにこういうやり取りなのです。

正しいけど、身も蓋もないとはこのこと。

ちなみに身を出すときに蓋をされたような

そんな感覚にさいなまれるほど出ないですよ

痔の排便は。

世の中ね、正しいことだけが必ずしも正しいわけじゃないんです。

「嘘をついてはいけません」

そう教えている幼稚園の先生や両親が

サンタクロースの存在を正当化する。

もう完全に歪んでますよ。

でもね、それじゃあ幼稚園の先生が間違ってるのか?

否、間違ってないよね。

それは幼稚園の先生の正義なのです。

それぞれの正義、と言えばね

こんないい話がありますよ。


名プロ野球選手ジョン(仮名)がいました。

彼のもとに、目の不自由なファンの子から手紙が届きました。

「シーズン最後にホームランを打ってくれ。そしたら勇気を出して手術をする」

ジョンは試合前、病院までいってファンの子に

必ずホームランを打つと約束しました。

そうすると、全米が注目しますよ、ジョンの打席に。

でも、そうはいっても勝負の世界。

対戦相手もおいそれとホームランを打たれるわけにもいかないから

ジョンに対して対策を練ってきます。

結果、ジョンはなかなか打てない。

そして迎えた9回裏。

ジョンのチームは大差で負けています。

打席にはジョン。

勝敗はほぼ決している。

しかし、ジョンの戦いはまだ終わっていない。

なぜなら、少年との約束が残っているから。

ピッチャーは全米でNO.1クローザー。

ジョンの最後の勝負が始まります。

NO.1ピッチャーの球威に押されながらもジョンは粘り、

カウントは2-3。

そして放った最後の一球!

ジョンは渾身の力を振り絞ってバットを振りぬきました。

ものすごい勢いでボールは飛んでいきます。


実況はテンションが上がってお茶の間にボールの行方を伝えます。


「さあ、ジョンの打球が伸びる、伸びる!」

全米がかたずをのんで見守ります。


しかし―――

ボールは無情にも、センターのグラブに入ってしまいました。

ゲームセット。

期待が失望に変わり、大観衆がため息をつこうとしたその瞬間!


「入りました!ホームランです!

なんとジョン、ここでホームランが飛び出しました!

ジョンはいつも我々に諦めないことを教えてくれます!」


その実況を聞いた観衆は

再び、割れんばかりの大歓声を上げたのでした。



……どうだい?

この話を聞いてもまだ

痔がひどい→病院へ行け

のコンボを繰り返すのかい?

正しいことだけが正しいわけではない。

職務という点では、この実況は

嘘を伝えるという間違いを犯しているのだけれども

それより大事なことがあるじゃないか。

彼はそう教えてくれたのです。

そして、私がこの話を好きな最大の理由は

最後の最後で主人公が実況にすり変わったという点。

ジョンと少年は完全に食われてしまった。

ジョンに至っては、この日いいところがまるでない。

だから、私は病院に行かない。

誰かが私のためにホームランを打つまでは。


今日のケツ論:関係ないけどメール等は明日か明後日に返します