さて、いかにも広げすぎてしまった風呂敷に戸惑いつつ

お話をひとつ


それはとある夜のことだった。

小学校高学年の時である。

季節はわからないが、

うっすら休みだった記憶があるので

ひょっとしたら夏休みの話かもしれない。

でも、日曜ロードショーの記憶もあるので

夏休みではなく、ただの日曜日だった気もする。

アレ?でも宿題がどうこうって思ってたような

ってことは夏休みか?

でも日曜日も宿題あるから関係ないか

いったいどっちだったんだ?

ってことはハッキリ言ってどうでもいい。

重要なのは夏だってこと。

ゴメン嘘ついた重要ってほどでもないや

そして夏が重要かどうかってことすら

さして重要でもない。

ともかく、その夜は妙に寝苦しかった。夏だから。

当時、家にクーラーなんていう気の利いたものがなく

かといって扇風機も家族一人一人に支給されているわけでもなく

要するに汗をかきながら寝るのが私にとっての夜だった。

携帯が1日手元に無いだけで不安になって生きていくのが嫌になるような

そんな現代病に冒されまくった今の私だったら

クーラーが無いなんてとてもじゃないが眠れないのだろうが、

当時の私には、その環境で眠るのはいたって普通のことだった。

その日もそう・・・なはずだった。

だが、眠れない。

なぜか眠れない。

目を瞑ったまま、どれだけの時間が流れたであろうか。

だが不思議と、幼い頃にありがちな、

眠れないことに対する苛立ちは起きなかった。

時間だけが過ぎてゆく。でも、目を開けるのは負けだ。

自分ルールを作って、実行していた。

「自分に負けるな」

当時担任だった教師の口癖を

完全に、かつナチュラルに履き違えている事には

当然ながら当時の私は気づいていない。

戦えど戦えど、自分との勝負に決着の時は訪れない。

時計の秒を刻む音だけが、耳に入ってくる。


そして、「その時」はやってきた。


人生初の金縛りが私を襲ったのだ。

眠れないばかりか、動けない。

身体がまったく動かない。

闇の中で、動けない自分。

今から考えたら、恐怖でおもらししてもおかしくない状況なのだろうが

っていうか今もしそうなったらたぶんもらすのだが

子供の時の私はいたって冷静だった。

「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・・・」

祖母に教わった、金縛りになった時に唱えると効く念仏を

即座に唱える余裕を持っているこの小憎らしさったらアナタ。

この冷静さが20年後まで残ってればもっと違う人生だった気がする。


閑話休題


念仏を唱えても、金縛りは解けない。

さすがにやばいかなぁ・・・と思い始めるちっちゃい私。

とりあえず自分ルールを

「金縛りがとけたらまた目を瞑ろう、とりあえず目を開けるか」

に変更してみる。

自分ルールを下方修正したその時点で

自分に負けている、ということには当時の私は気づいていない。

完全に。ナチュラルに。

で、目を開けたら・・・

そこには見てはいけないものがいるではありませんか!

ギャーーーーーーー!!


<疲れたので続く>



そういや今度の日曜日後楽園ホールなんだってね。

全然ピンとこないや

というわけでチケッツはこちらから

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今日のケツ論:続きはまた3日後くらいに!