ナゴムレコードと言えば、【人生】よりも【筋少】だったので、
【フラッシュパパ】も 横目でチラ見する程度。
帯に書かれた「マンチェスター・レコーディング」に心惹かれたけれど、
当時はまだ【808STATE】の音にも触れておらず、マンチェといえば
ストーンローゼス!ギターバンドだった。
ジャケットのデザインもイマイチというか「最悪!」に思えた。

93年、TVBros.誌上で、【TB-303】について熱く語る卓球のインタビューを読んだ。
その情熱の結実したものが、日本のテクノの夜明けとなるアルバム【VITAMIN】。

24時間の交通量調査、手に1万円を握り締め、向かうレコードショップ。
鮮やかなカプセルのジャケット。これで音が悪いはずが無い。

TB-303の音がどれなのかよくは分からなかったけど、
音の一粒一粒がキラキラとうねる様に伸びて行く。
疾走感。開放感。

YMOが大好きだったから、音に抵抗はもちろん無かった。

そこから遡る形で【KARATEKA】【UFO】、そして【フラッシュパパ】& 【メンソール】を聴いた。
好きなのは本人達が気に入っていないという【KARATEKA】。
【電気ビリビリ】路線の【DS MASSIVE】は今聴いてもカッコイイ。

 S1100でストライプシャツとフランスギャルを吊るし上げろ   
                                      (DS MASSIVE)

渋谷系を揶揄。そういうとこ大好きだった。

【ORANGE】発売時のロッキンオンジャパンでの、
「自分達はなめられている」という卓球の悲壮にして笑える愚痴っぷりなど、
電気をテクノという枠では無く、人間味溢れるミュージシャンとして本当に好きになった。

【ORANGE】はあまり聴く機会はないのだけれど、それはどこか当時の彼らの
恵まれない環境に対する鬱屈とした閉塞感のようなものが溢れていて聴くのが辛くなる。

 ついてねえ こんなはずじゃなかった 
 ついてねえ ついてるわけがねえからもちろんのってるわけもねえ
  (ママケーキ)

電気はたまぁに、こういう痛い詞をはさんで来るからあなどれない。

【A】が売れたときには本当にファンとして嬉しかった。
【かっこいいジャンパー】は朝出かける前に本当によく聴いた。

 かっこいい 見たコトない様なジャンパー
 かっこいい まだ誰も着てないジャンパー
 かっこいい どこ見てもイカスぜジャンパー
 かっこいいコトする時のためのジャンパー


『ジャンパー』が何を意味するのかは、明白だ。
電気は【A】で自らの手で最高にかっこいいジャンパーを手にした。
そしてそれが50万枚も売れた。本当に幸福な瞬間だったと思う。
正直【A】で電気が終わってもしょうがないんじゃないかなぁと思っていた。

でやはりというか、次のアルバムまで大きく時間が開き、メンバーが減った。


そして得体の知れないぐちょぐちょの化け物みたいなアルバム
【VOXXX】が届いた。とにかくゲロみたいなアルバム。
しかし大好きだ。なによりも【レアクティオーン】が入っている。

 どこにもないどこにも似ない 脈略がない訳でもない
 筋書きが無い訳でも無い ここでしかないどこでもない
 このリアクション                             
(レアクティオーン)

電気はブレていない。この感動的な楽曲が、【エジソン電】という
まさにアシッドとしか言いようが無い曲と並んで入っているというところに、
電気の底知れない「狂気(笑)」と、底知れない「清潔さ」を感じる。

この人たちは本当に真摯で純粋だ。 ちょっとゆがんではいるが。


そして、今日発売となったライブDVD【レオナルド犬プリオ】。

ウエダダダッ!!!!-inu  中のスチールがイチイチくだらないw


先のDVD【ニセンヨンサマー】はまだ駄洒落として機能していたが、
もうデカプリオとなんの関係もないじゃん!

しかし最高。なにより副音声が最高。
【ニセンヨンサマー】の卓球のイカレっぷりは並みの芸人を凌駕したが今盤もキテる。

【かっこいいジャンパー】を「ただの上着の歌」と身も蓋もなく自ら言い表し、
「えっ?」と困惑するも、爆笑した。

そんな卓球はかつて、「かっこいいってどういうこと?」という質問を受け、こう即答した。
(NHK教育『SOLITON Side-B』にて)

身の程を知る

卓球を、電気グルーヴを私は支持し続けます。

ファッションを最初に漫画に持ち込んだのは誰か?


江口寿史?オシャレなファッションという意味では江口かもしれない。

当時隆盛を極めた「(音楽の方の)ニューウェーブ」からの引用が、

「すすめ!!パイレーツ(1977~)」の中盤から見られ始め、

丁度【YMO】にハマリ始めていた私にとっても、大きな衝撃となった。



ウエダダダッ!!!!-pr  

  江口寿史「すすめ!!パイレーツ」 ポップ。



しかし個人的好みとしては、江口以上に衝撃だったのは、

鴨川つばめの「マカロニほうれん荘(1977~)」。

画に対する「覚醒」が江口よりも数年早かったように記憶している。


ウエダダダッ!!!!-makaroni

 鴨川つばめ「マカロニほうれん荘」 「オズの魔法使い」「禁断の惑星」など著者幼少時の記憶?



とにかく線が流麗で今見ても、惚れ惚れする。丸みのある線で、女性の体のラインなど

とてもエロティックだった。そして、江口にはない「ヤバイ」臭いで溢れていた。

扉画などの書き込みの量もハンパなく、シュールで幻覚作用のある、つまりドラッグの香りがした。

当時は勿論ドラッグなど知らなかったけど、おもしろいんだけど、なんだかとても

「危険なもの」という印象が鴨川の漫画にはある。


グラムロック(T-REX)、クィーンなど、江口が扱ったニューウェイブよりも一世代前の、

怪しい両性具有的ロック臭が子供にはとても「ヤバ」く感じられた。



※ニューウェーブ期には、グラムはより洗練され(ニューロマンティックス)、

 ヤバさは薄められていた。

 テクノなどの隆盛もあり、よりスタイリッシュになり、70年代の「脂抜き」がされていた


江口に比べ、鴨川の絵柄が洗練されつつも、どこか粘着性があり、ドメスティックなのは

鴨川(70年代的)×江口(80年代的)の違いなのかもしれない。


この辺から、緻密になった【劇画】がより洗練され、漫画家が巷に溢れ出した【情報】を自分なりに

整理して、画に反映するようになってきたのではないでしょうか。


【情報】を無視できない状況に、世間がなってきたのではないかと思います。

人間を描くということに、

【何を着ているのか?】【どんな音楽を聴いているのか?】【どんなところに住んでいるのか?】

などなど、そのライフスタイルを無視しては通れなくなってきた。


そこを描き分けることで、人間の個性(そして漫画家のセンス)を表現するようになってきたのでしょう。


絵と言うか、マンガというか、落書きレベルの画をペンを握ったら最後、

会議中であろうと、ひたすら目の前の紙に書き殴るのが、物心ついた時からの私の癖。



そんな人はかなりの数いると思う。

会議後、机の上に広げられた資料の類を見渡すと、自分と同じように、

いやそれ以上に真っ黒な人がいる。


専門家ではないので、あくまで素人の域ではあるが、画をアホみたいに書いていると、

線が全てのように思えてくる。自分の気に入った線というのがあって、

その線を描く事が至上の喜びというか、快感となる。


だからマンガを読むときなどは、画の一本一本の線を見ているというか読んでいる。


好きな線を描く作家が気になる作家となる。

「線」でマンガ批評を行っている人もいるので、線はとても重要だ。



線が好きな作家は、


「編集王」「俺節」の土田世紀、「少女椿」「夢のQ-SAKU」の丸尾末広、「初期」の大友克洋、

「ストップひばりくん以降」の江口寿史、「デスノート」「バクマン(デスノートより面白いかも)」の小畑健、

「TO-Y」「SEX」の上条淳士、「機動旅団八福神」の福島聡、「天然コケッコー」のくらもちふさこ、

「グリーンヒル」の古谷実、「バタアシ金魚」の望月峯太郎、

そして、「鉄コン筋クリート」「ピンポン」の松本大洋。

まあ他にも多数いるけど。



この人たちの共通点は、線が非常に繊細。
わりと皆、「硬め」のささくれだったような線を描く。



自分が大好きなのは、彼らの描く【服のしわ】【指】


とくに【しわ】はたまらない。



↑にあげた作家はかなり、執拗に細かく【しわ】を描く。

【服のしわ】を描くというのは、70年代後半から本格的に始まったのではないだろうか。

「漫画の神様」手塚治虫は【しわ】をほとんど描かない。画が記号的だからだ。



手塚マンガを思い浮かべる。

どのキャラクターもジャストサイズの服を着ている。たるみが一切ない。だから【しわ】もない。
「のび太」も「バカボンのパパ」もぴったりの服。着ているというか、張り付いてます。


ウエダダダッ!!!!-nobita  


↑「ドラえもん」 体の線と服の線は同じ。

のび太【しわ】描写は、上着とズボンの境目のわずかなふくらみ。


ウエダダダッ!!!!-pingpong  


↑松本大洋「ピンポン」 人物が服を「着ている」。1コマ目の【しわ】描写が執拗。素晴らしい。



「ドラえもん」「天才バカボン」はギャグ漫画ってこともあると思うが、

多分マンガ家自体が服というものに無頓着というか、重きをおいていなかったんだろう。


当時の世相(50年代~60年代)そのものが、まだ「ファッション」に特別な意味を

持っていなかったのだと思う。それどころじゃなかったというか。

子供なら「半ズボン」、大人は「背広」。いわゆる「記号」として描かれていた。



それが変わったのが、【劇画】の登場からではないだろうか。


例えば白土三平の「カムイ伝」などは和服で動きのあるマンガのため、

理に適った【しわ】の描き方がされている。


手塚的な画と劇画の端的な違いは、線の数が圧倒的に増えたということにある。
線が増えたということは、書き込みが増え、画の情報量が増えた。「リアル」になったということ。

リアルは、つまりより複雑に登場人物を描写するということである。



のび太の属性は、「怠け者」。ジャイアンは「乱暴者」。ドラえもんはギャグ漫画ではあるけれども、

その程度の人物描写で十分に面白いし、作家は「あること」を表現できた。



しかし、どのような表現もそうであるように、次第に漫画は成熟し、進化し、深化していく。

より複雑なものを表現しようとする。

それが「手塚」的な記号による画では表現できない領域になってしまった。

そして「劇画」が生まれた。まあ乱暴な説明だけど。




※アメリカってこういう複雑な心理とかを、基本的に「ヒーローもの」のフォーマットで表現しようと

  するから面白い。だから【ダークナイト】みたいなものが生まれるんだろうけど。春に公開する

  アラン・ムーア原作の【ウォッチメン】もかなり深くて、複雑。期待。監督はザック・スナイダー。




劇画も例えば、「あしたのジョー」や「巨人の星」あたりは、まだ「ただの服」。

ジョーはかっこいいけど、どんな服を着ていたのかあまり印象がない。コート姿は印象的だけど。

星飛雄馬の私服のダサさは、今見ても爆笑もの。妙な柄のポロシャツにスラックス。

ちなみに「巨人の星」の【しわ】はかなり重量感があって、ねちっこく描かれていて、暑苦しい。


【ファッション】の概念を漫画に持ち込んだのは、一体誰なのか?


とりあえず、独断と偏見でその辺の話を次に書きます。