お肉について思うこと | pissin' against the wind

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読むだけでタバコをやめられる本として有名な「禁煙セラピー」。

ニコチン中毒のメカニズムを理解し徹底的に向き合うことで、なぜタバコを吸い続けているのか、なぜやめられないのかといった問題の本質がみえてきます。

問題の本質が明白になればやるべきことが自ずと理解でき、タバコをやめることへの不安感が取り除かれ、ついには薬や医者に頼らずきれいさっぱり卒煙できました。

10数年間、毎日2箱(40本以上)吸っていたタバコをあっという間にやめられた経験で、依存から脱却する方法を少し体得できた気がします。


「禁煙セラピー」の著者アレン・カー氏は読むだけでやせられる「ダイエットセラピー」も書いています。

タバコのときのようにダイエットでもいい結果を得られるだろうと、この本を読みました。

太っていることは言い換えれば栄養依存です。ニコチン依存から抜け出す過程を食べ物に応用できるはずです。

この本では「人間に備わっている本能を信じよう」と説いています。

例えば、お腹が空いたら食べる、空いていないなら食べないようにする。

このことひとつとっても、決まった時間が来たから食べるとか、ヒマだったからつい食べちゃったなど、いわば不自然な食べ方をしていることに気付かされました。

お腹が減るまでは食べず、お腹がいっぱいになったら食べるのをやめるだけでもやせます。

胃袋がいっぱいでもお皿を空にしなくては気がすまないという気持はよくわかります。

食べ物を捨てることに抵抗があるという方は、最初から適量をお皿に盛るようになればいいんです。


また、「基本的に肉類を食べることをやめてしまおう」と説いています。

最初はそんなの無理だと思いました。肉は大好きでした。

しかし本を読み進めるうちにいちおう納得できました。

たしかに肉を食べなくてもいいんじゃないか。ゴリラや象さんは草食でもあんなに立派なからだになれています。

肉は焼いたり煮たりしなければ食べられないこと。味付けしないとおいしく食べられないこと。

食べなくても生きている人たち(ベジタリアン)が存在していること。

別なものからたんぱく質は摂取できること。

これらをふまえて肉を食べることの意味を自分でも深く考えてみました。


ステーキ肉を焼いているとき、疑問に思いました。

なんなのこれ。よく焼かないと食べられないってなんなの。食べ物としてどうなの。

生じゃ食べられないし、味付けしないと食べられない。

よくよく考えると生肉は見た目が気色悪い。匂いも感触も。血とか汁も出てるし。


まず牛をお肉の状態にすることも自分にはできません。

映画「イントゥ・ザ・ワイルド」の中で主人公がヘラジカを撃ち殺すも、さばききれず腐らせウジが沸いてしまい絶望する印象的なシーンがあるのですが、σ(・ε・)も絶対無理です。

追い込まれればできるという人もいるでしょうが、σ(・ε・)は追い込まれてもできないでしょう。

自分ではできないことを人にやってもらっておいて、うまいうまいと食べることに違和感を覚えました。

そんなσ(・ε・)が肉を食べるのは不自然だと感じたんです。

ニワトリだって食肉処理できません。

首を落として羽をむしって内臓を出す。できる人はどのくらいいるでしょう。

魚も大型の魚は多分無理。

まな板の上でドタンバタンして生きている魚の息の根を止められません。

せいぜいサンマとかアジまでかな。鯉くらいでも無理だと思います。

食べなくても生きていけることは既にベジタリアンが証明しています。

だったら食べなくていいやと思いました。


動物愛護の視点はまったくありません。

σ(・ε・)は天に即した生活をしたい。

それは不自然さのない、身の丈にあった生き方です。

処理はできないししたくないけど、食べるのは大好きなんて虫が良すぎる。

こどもから大人に成長する過程では肉類も必要でしょう。

しかし、成人した今となっては食べなくていいと思いました。


ヘンテコな思考だといわないでくださいね。それは自覚しております。

ただσ(・ε・)の心の変化を記しているのであって、他人についてどうこう口出ししませんのであしからず。

また、食肉工場で働いている方々には最大限の敬意を払いますし、感謝をしております。