トノバン 

音楽家 加藤和彦とその時代

TOHOシネマズ日本橋

 

映画 音楽ドキュメンタリー

トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代

を見てきました。

 

皆さん、加藤和彦という人物を

ご存知でしょうか。

60~80年代に多くのアーティスト

や音楽関係者に愛され、影響を与えた

プロデューサーであり作曲家・編曲家

そして優れたアーティストでした。

トノバンは彼のニックネームです。

 

この映画は加藤和彦の生き様を

数多くの関係者のコメントを元に

描かれています。

 

「そろそろ加藤和彦のことを語ろうか」

という副題のとおり、数多くの

アーティスト・友人である関係者が

コメントを寄せていました。

 

きたやまおさむ・高中正義・高橋幸宏

坂崎幸之助・泉谷しげる・つのだ☆ひろ

小原礼・新田和長・朝妻一郎 

吉田拓郎×松任谷正隆(ラジオの音源)

 

最初の大ヒットは

ザ・フォーク・クルセダーズ

「帰ってきたヨッパライ」

オールナイトニッポンの斉藤アンコーが

深夜放送でかけまくってヒットしました。

今では考えられませんが、当初は売れすぎて

レコードを買えない状況が続いたそうです。

 

続いて「イムジン河」

きれいなメロディーで切なく悲しい歌詞

が印象的な曲でした。

発売禁止となった時期もありました。

井筒和幸監督の「パッチギ」の挿入歌

でもありました。

加藤和彦はこの映画の音楽も担当しました。

 

 

そして、永遠の名曲

「あの素晴らしい愛をもう一度」

私は複数のアーティストが出演した

イベントで、この曲を出演者全員で

歌ったのを、数えきれないくらい

聞きました。

それだけ、この曲は多くの人に

愛されたのでしょう。

 

加藤和彦は他のアーティストの

プロデュースも多く手がけました。

吉田拓郎の「結婚しようよ」

その一つでした。

この曲のレコーディングに

誘われて初めて参加したのが

松任谷正隆でした。

 

泉谷しげるの「春夏秋冬」

加藤和彦は泉谷しげるに感情をこめずに

坦々と歌うように指示しました。

それが大ヒットにつながったのですね。

 

妻の安井かずみも影響を与えた一人でしょう。

作詞家 安井かずみの曲で一番好きなのが

沢田研二「危険なふたり」

加藤和彦とのコンビの代表曲は

竹内まりや「不思議なピーチパイ」

 

そして海外でも評価されたバンド

サディスティック・ミカ・バンド

セカンドアルバムの「黒船」は

ビートルズとも親交のある

トーマス・ハリスがプロデュース

しました。

最も有名になった曲はもちろん

「タイムマシーンにお願い」

ミカの歌唱力が秀逸でした。

 

私が加藤和彦のライブを見たのは

このイベントただ一度だけです。

1985年6月15日 国立競技場

「ALL TOGETHER NOW」

今でもこのイベントを超える

ライブは無いと思っています。

オープニングは吉田拓郎とオフコースの

セッションでした。

なんと、伝説のはっぴいえんどが

復活して、失神した人もいました。

 

コンサートの終盤に登場したのが

サディスティック・ユーミン・バンド

このメンバーがスゴかった!

ギター 高中正義

ベース 後藤次利

ドラムス 高橋幸宏

キーボード 坂本龍一

そしてバンマス 加藤和彦

ボーカルは

松任谷由実

最後に登場したのは

小田和正

財津和夫

このスーパーバンドで

ユーミン・小田・財津が共作した

「今だから」が演奏されました。

当時大学生だった私は感動のあまり

鳥肌が立ってしまいました。

 

さらにこのバンドの後に大トリとして

登場したのは佐野元春とシークレットゲスト

サザンオールスターズのセッションでした。

人気絶頂の2組のコラボには、シビれました

 

加藤和彦はファッションや料理にも

造詣が深かったのも知られています。

 

トノバンは2009年 享年62才で

亡くなってしまいました。

本当に多くの人に愛されて影響を

与えた人だということが分かった

映画でした。

 

映画の最後に披露されたのは

きたやまおさむ・坂崎幸之助

坂本美雨・石川紅奈

高野寛・高田漣などによる

「あの素晴らしい愛をもう一度」

 

私はこの歌の2コーラス目の冒頭

「赤とんぼの唄を歌った空は♪」

フレーズを聞くと目が潤んでくるのです。

 

盟友 きたやまおさむ

「ボクは加藤和彦のような人に

会ったことがない」