鉄のカーテンを溶かした一瞬の微笑み
1970年代、名古屋市民会館に現れた「ソ連の巨神」
1970年代。世界はまだ「冷戦」という厚い氷に覆われていた。
「鉄のカーテン」の向こう側からやってくるソ連のオーケストラを迎える名古屋市民会館には、独特の緊張感が漂っていた。単なる演奏会ではない。国家の威信をかけた、文化の衝突の場でもあったのだ。
ステージに現れたのは、レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団と、その常任指揮者エフゲニー・ムラヴィンスキー。
彼は、まさに「巨神」だった。一切の妥協を許さず、媚びを知らない。その表情は、終始「苦虫を噛み潰した」ような厳しさで満ちていた。
眼を凝らす楽員、異形の響き
演奏が始まると、私はその凄まじい光景に圧倒された。
指揮棒への集中: 楽員全員が、まるで一人の人間のように、ムラヴィンスキーの小さなタクト(指揮棒)を食い入るように見つめていた。その気迫は、音楽という名の「戦い」のようだった。
独特の楽器配置: 現代の主流とは違う、ヴァイオリンが左右両脇に分かれ、左奥にコントラバス、真ん中にチェロが陣取る「対向配置」の変形。その視覚的な違和感が、そのままレニングラード・フィル特有の、あの「日本刀のような鋭い響き」に繋がっていた……。
クライマックス:苦虫顔と、最後の一人
演目はベートーヴェンの交響曲第7番。
演奏は、まさに最高。一糸乱れぬアンサンブルと、爆発的なエネルギー。しかし、鳴り止まない喝采の中でも、ムラヴィンスキーの顔は最後まで「苦虫」のまま。カーテンコールでも、一度として微笑むことはなかった。
だが、物語はここで終わらない。
演者が一人ずつ退出していく中、最後の一人となったコントラバス奏者が、おどけたように肩をすくめ、両手を広げてジェスチャーをしたのだ。
それはまるで、「うちのボスは頑固でゴメンね。でも、またよろしくね!」と言っているかのようだった。
そして、最後は日本人顔負けの丁寧なお辞儀をして、ステージを去った。
結び:鉄のカーテンが溶けた瞬間
その瞬間、会場の緊張が一気に溶け、温かな爆笑とさらなる拍手が巻き起こった。
冷戦という政治の壁を越え、音楽とユーモアが人と人とを繋いだ、奇跡のような幕切れ。
私は以前、同じムラヴィンスキー指揮、レニングラード・フィルのチャイコフスキー『悲愴』のレコード(ドイツ・グラモフォン盤)を聴いて感激したことがある。その時の、完璧な美しさと深い孤独の響きも素晴らしかったが、あの一夜の名古屋での、鉄の規律とその裏にある「人間の温もり」を感じる体験は、何物にも代えがたい宝物だ。
あのコントラバス奏者の最後のお辞儀は、今でも私の心の中で、冷戦下の静寂を溶かした一瞬の光として輝き続けている
