その夜、七海が事務所に来た。

顔色が、悪かった。


「所長。うちの公示で、関係ない人が傷つきました」


三週間前、桐生庵は、誹謗の投稿者である元従業員の名を、公表した。

手続きに従って、発信者情報の開示請求を進め、その結果を、店の前に貼った。


信長が

「すべてを明かせ」

と言ったからである。

だが、その男には、小学生の娘がいた。


「娘さんが、学校で……お父さんは、嘘つきだって。クラスの子が、うちの店の貼り紙を見たんです」


七海は、拳を握っていた。


「あの人は、ひどいことをしました。でも、娘さんは、何もしてないんです」


信長は、何も言わなかった。

光秀が、静かに口を開いた。


「殿。公示は、刃です。 刃は、切る相手を選びません。あなたが本能寺で、一万三千の兵に囲まれたように――刃は、あなたの意図とは、別の場所を切ります」


信長は、長いこと黙っていた。

四百年、彼はこのことを考えたことがなかった。城下に制札を立てるとき、彼は


「すべてを明かせ」


と書いた。楽市の掟である。

だが、制札は、名を書かれた者の家族まで焼くものではなかった。

この街では、それが焼ける。


「……わしは、間違えたか」


「いいえ」


光秀は、首を振った。


「あなたは、間違えてはいません。手続きを、ひとつ飛ばしたのです。 公示の前に、公示される者の顔を見る、という手続きを」


信長は、畳を一度叩いた。

何かを決めた癖である。


「明智殿。明日、翠光堂に行く。わしが、槙原に会う。」


「何をするおつもりで」


「決めておらぬ。……決めてから行くから、わしは、いつも間違える。今度は、会ってから決める。」


光秀は、少しだけ目を細めた。

それが、この男の笑い方であることを、

信長は覚えていた。