あの日、私は愛宕山に登った。
連歌の一座を興行するためである。
会は、山内の西坊・威徳院に設えた 。
僧がおり、連歌師がおり、私の家臣がいた。
私は茶を点て、菓子を配り、句を継いだ。
あの日、私が詠んだ句は、発句を含めて十五。発句は、私のものである。
「時は今 あめが下しる 五月かな」
この一句は、後世の人が「謀反の予告」
と読む。
美濃の土岐の流れを汲む私が、
「とき(時=土岐)」と「天下しる(天下を知る=治める)」を掛けた、と。
(後世の者は、私の一句を、私の知らぬ意味で読む。それも、仕方のないことだ。人は、詠んだ者の手のひらよりも、読んだ者の眼のほうを信じる。)
だが、私の記憶にあるのは、もっと単純なことだ。あの日、私は決めていなかった。発句は、決めていない者の言葉である。
「時は今」――いま、という語だけが、私の口から先に出た。続く「あめが下しる」の六文字は、私が書いた。だが、書いた私が、その意味をどこまで握っていたかは、私にも分からない。
人は、決めかねているときに、決まったふうの言葉を詠む。 あれは、私の迷いの形だった。連歌の席で、私は笑っていた。その笑いが本物だったのか、そうでなかったのか。四百年、私はその問いから逃げている。