三、最初の事件


「消えた義母」


事務所を開いて十三日目。のれん代わりのガラス扉を叩いたのは、二十代の女だった。


「田村さやかと申します。義母が……消えました」


彼女は震えていた。テーブルの上にスマートフォンを置き、息を継いで話した。義母は七十歳。三日前から、連絡が取れない。警察には「成年の任意失踪では動けない」と言われた。


信長は茶を一口啜り、畳に並べられた資料を眺めた。この世界の言葉にまだ多少の違和感はあるが、要点は掴める。


「して、その義母殿は、あなたに金を?」


田村は目を見張った。


「なぜ……?」


「案ずるな。我は戦場で、逃げた兵の理由を九種類見分けた。そのうち七つは、金である」


女は少し笑い、それから本気で泣き始めた。義母は半年前から、動画配信サイトで知り合った「投資の先生」に、貯蓄と年金を注ぎ込んでいた。先週、「特別な口座」に三千八百万円を振り込むと言った。田村が止めると、義母は逆上して家を出た。


(また、これか)


信長はこの世界に来て、この「投資詐欺」というやつを板で調べていた。人の心の弱みを突き、言葉の綾で騙す。刀の代わりに画面を使う、いわば影の者どもである。面白い。天下布武を阻む新しい敵が、この街には掃いて捨てるほどいる。


「面会を求める方法は、あるか」


「一応、先生に直接……って言われたんですが」


「会おう。わしが会う」


三日後、東京・某所の高層マンションの共用ロビー。田村家の義母・田村静江は、腕を組んで信長を睨んだ。


「あんた、誰。うちの息子の嫁が連れてきたの」


彼女の隣には、痩せた男が一人。白いシャツに、整えた髪。目が笑っていない。信長は彼を一瞬で測った。


(頭は良い。だが、勝負慣れしていない。人を「数字」としか見ていない眼だ。戦場なら、真っ先に死ぬ類の)


男は名刺を差し出した。

屋号は「未来資産クリエイト」。だが、その手首の安い時計と、話すときの


「三千万」


という口グセが、すべてを語っていた。信長は椅子に座り、静かに切り出した。


「静江どの。その男に、これまで幾ら渡した」


「……一千二百万」


「二千では済まぬな。二千八百か」


静江の顔色が変わった。信長は続ける。


「その男は、こう言ったであろう。『今だけは誰にも話すな。話せば儲けが消える』と。戦ではこれを、陣を孤立させる策と言う。孤立した兵は、何を信じるか分からぬようになる」


隣の男が遮った。


「ちょっと、名誉毀損に――」


「黙れ。わしは今、この女と話している」


その一喝は、この細い体からは出ないはずの声量を持っていた。男は一瞬、椅子の背に押し付けられたように固まった。戦場の空気を、このロビーに一点だけ切り取った音である。信長は続けた。


「わしはな、若い頃、桶狭間でたった二千で大軍に勝った。見かけの数は、何の証拠にもならぬ。だが、嘘をつく者には必ず綻びがある。お主は今、『未来』と言いながら、目が三日前の宿泊代を探しておる」


男の顔が、初めて歪んだ。信長は畳みかける。


「この街には証というものがあるのだろう。振込記録とやらは、残る。『先生』の口座名義と、お主の言う『特別口座』の名義は、同じではないか」


田村がハッとした。


「弁護士に調べてもらう」


男は立ち上がり、無言で早足に去った。逃げたのではない。やり方を変えるために、である。信長はその後ろ姿を見送り、静江に向き直った。


「静江どの。あの男は必ず戻る。今度は『もう少しで戻ってくる金がある』と言ってな。そのとき、そなたがどうするかで、この家の形が決まる」


静江はしばらく黙り、それから小さく頷いた。


「はい」


と、絞り出すように言った。


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レギュラー登場人物


織田信長(所長):現代語と戦国語を混ぜて話す。刀は持たないが、視線と一言で場を制する。弱点は、この世界の「角が立たない言い方」ができないこと。


森乱(調査員):天正十年の炎から生き延びた小姓。現代で三十年待った、最も忠実な部下。信長の暴走を止められる唯一の人物。


明智光秀(転生者・謎の探偵):信長と正反対の「光の側」から事件に関わる。善人か悪人かは、まだ謎である。