二 
令和・東京、某所

信長が目を開けたのは、畳でも床でも、
ましてや炎の中でもなかった。白い天井。光る板。指先には、見覚えのないほど薄い布団。窓の外から、見たこともない色の自動車が滑っていく音がする。

そして――街の上に、巨大な灯りが点いた板が浮かんでいた。文字が流れている。
『本日の天気 東京 最高28℃ 降水確率40%』

「……なんだ、あれは」

声が出た。出たが、その声は自分のものではなかった。筒抜けに澄んだ、若い男の声である。手を見る。細く、土で汚れていない、剣ダコひとつない手。

三十年前に焼けた自分の腕ではない。

(わしは、死んだ。そして、器を借りた)

腹の底で、理解がずぶりと落ちてきた。何度か試して、彼は分かった。この体の元の持ち主の名は、まだ残っている。だが中身の記憶はすでに薄く、家族の顔も、通った学校の名前も、おぼろげな影になっている。

「オダ」という名字だったことだけは、はっきり残っていた。我が名と一音同じ。
縁とはこういうものか。机の上に、光る板がもう一つ置いてあった。胸の内に呼びかけるだけで、彼はその使い方を知っていた。どうやらこの器は、この世界のことを知っている。

――死の間際、炎の中に消えていく寸前に記憶を移したからであろう。理屈は分からぬ。分からぬが、戦の場で「理屈は分からぬが使える」ものは、山ほどあった。信長は板に触れた。

動く文字。動く絵。世界中の人の言葉が、瞬時に流れ込んでくる。恐怖よりも、彼の全身に湧いたのは喜びだった。

「天下布武の続きが、ここにあるのか」

板の中には、信長が夢見たより何倍も広い「天下」があった。だが、そこは血なまぐさい戦場ではなく、もっと陰湿な戦場でもあった。

詐欺、権利の争い、人の心を喰う噂。
刀では斬れない悪意が、街の至るところに巣食っている。信長はしばらく考え、それから床の上で胡坐をかいて笑った。刀がなくとも、仕掛けられる。この街の「掟」さえ覚えれば、他人の嘘を見破ることくらい、信長にとって呼吸と同じである。



三十年、武将たちの顔色と覚悟の裏を読み続けてきた男だ。彼は決めた。探偵事務所をやろう、と。

名は、自分のものに戻す。

「織田探偵事務所」。所長、織田信長。