『“人の価値は年齢ではないし計れるものでもない”と実は思ってるという事を前提に…』



僕はよく葬式に行く…

その時の感情は別として、そこで見る光景はその人の「今」の価値だと感じた事があった

人は大勢来てくれてもほとんどが体裁のためだったり
あまり人は来なくても愛されていたんだと感じたり


そういう観点(価値という意味で)から見ると
言葉は違うかもしれないし語弊はあるかもしれないけど…
人は若い程“価値”が高いのかもしれない

人生の終焉に体裁以外の理由でお別れを告げに来てくれる人の数は現実として若者の葬式程多い

もちろんいろんな要因はあるけど“若い”という事はきっとそれだけで価値があるんだろう
と 
いつか年寄りが言ってたのを思い出したりしてしまう…



僕は“歳を取る”ということ=失うこと
だと思っている
生き続ければ得るモノもたくさんあれどそれ以上に失っていくものだと思う

どんなに綺麗事を言っても現実として
運動量が減り 可能性が減り 選択肢が減り 友が減り 残り時間が減り …

孤独に慣れて 受け入れるものだと思う

“価値”は確かにそこにあるのにそれを見いだしてくれる人が減っていく

良い面もあれど、あえてそれは書かない
なぜならそれは多くの場合“人が見付けてくれる価値”でなく“自分で見付ける種類の価値”だから…
(今回の話と趣旨が違う)



例えばレスキューの人が
「二人のうち一人しか助けられない」という状況になった時は高価な物を身につけてる方を助ける

戦場で“爆弾を落す”決定を下す者は必ず安全なとこにいる

タイタニックでレオ様は自分の命を捨てて彼女を生かした

お産の途中に母子共に様態が悪化した場合、母体を助ける

悲しいけど究極の選択を迫られる場面では価値の差が存在してしまう
「価値」という呼び方は気に入らないけど突き詰めればそういうことなんだろう…


まぁ 大きな話はさておき…普段友達とか恋人とか仲間とか呼び合う間柄はきっとそれだけで相手の価値を見出だしてるという事だからなぁ
たぶん…

お年寄りを敬いましょう…
かっ
FUCKIN'IN THE BUSHES-OASIS

最初聴いた時には
「まぁロックなインストねぇ」くらいで特に何とも思わなかったこの曲が僕にとって特別になったのは
“スナッチ”(ブラピっすね)という映画を観てからだった

映画のラスト10分弱くらいからこの曲をバックに駆け抜けるクライマックスは僕を激しく圧倒して
そしてその“気持ち良さ”はいつまでも僕の心に残るのだった…


そんな単純と言えば単純な理由によって
“駆け抜けたい”時に僕はこの曲を聴くようになる

“駆け抜けたい”
と言えば何となく爽やかな感じもするけど要は

“どいつもこいつもゴチャゴチャるっせーんだよ”

って気分の事ネ


いつの日も音楽は僕のその瞬間の気分を変え
発言を変え
事柄を変え
時間を変え
一日を変え
人生を変え
自身を変えてくれる

お前がいてくれたら大丈夫だ