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DIARY☆221

221の内側と音楽の話。
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2016年5月26日の診断で「もう完治といっていいでしょう」という言葉を頂きました。

ご存知の方も多かったかと思いますが、私は20才ごろから現在まで、約10年にわたってうつ病と闘病をしていました。

自身が一度ちゃんと闘病生活を振り返りたかったことと、同じ病気に悩んでいる方々や、うつ病の方を支えている方の励みになればと思い、10年間の闘病の経過を書き留めます。


【うつ病について】
なんの病気においても、また、なんの悩み事においてもその苦労は本人にしかわからないものだと思います。

その上でうつ病もまた、一般的に認知されている感覚以上に、本人には重く、一生を左右するほどの病気です。


自身にまだ症状が出る前、うつ病の当事者でなかったころの感覚も覚えています。当時、自分にはうつ病に苦しむ友人がおり、その子には自分なりに支えになろうと、できる限りの配慮をしながら接していました。そんな想いで接しても、相手の苦悩を理解してあげることはできなかったように思います。当事者でないとわからないものがあるというのは、今になってやっと理解するところです。しかし、その心がけや、相手への想いは正しかったと今でも思います。

うつ病の症状も様々です。一般的なイメージにあるような精神的な部分に影響するものもあれば、精神面で支障がないようでも身体の方に症状が強く出る場合もあります。
そのため、周りの人が「うつ病なんじゃないか?」と客観的に判断するのは非常に難しいです。判断できる状況である場合、もう病状がかなり進んでいる状況でしょう。



うつ病には「自覚できるきっかけがある場合」と、「自覚できるきっかけがない場合」があります。

自分は、完治となるまでこのきっかけを自覚することはありませんでした。しかし、振り返るときっかけはあったと感じています。

きっかけはあくまできっかけなので、それがうつ病になる全ての要因ではありません。元々の体質、家系、生活習慣なども影響するからです。



【きっかけ】
20歳のとき(当時大学1年)、自分は初めてできた彼女に振られました。これだけをきくと、よくあるような話ですが、自分の身に起こったショックは多大なものでした。

丸1年間は、何をしていてもたのしくない、何もやる気がおきない、未来に希望が持てない、生きていたくない、死にたい、という心境でした。
周りの方々のたくさんの激励の中で、希望を見出しては落ち込み、希望を見出しては落ち込みを繰り返しながら生活していたのを覚えています。
1年半が経過したころ、ようやく元気を取り戻せていました。

この段階では「失恋して落ち込むなんてよくあることなのかな」と思い、病気なんていう発想も思い浮かびませんでした。今、振り返ってみれば完全にうつ状態でしたので、本来ならば病院にいくべきだったと感じています。しかし、きっかけがきっかけなので、自分をはじめ、誰もそこまで深刻なものだと思わなかったのだと思います。

また、元々明るく、前向きな性格だったので、人といるときは明るい自分の性格のままでしたし、なんとか前向きに考えよう、希望を持とうと努力していました。一方で、これは言い方を変えると、自分の中の虚しさを押し込めていた面もあったのかもしれません。


【生活への変化】
21.22歳のころ(大学2.3年)、普通に大学生活を送っていましたが、朝起きるのがとにかく辛い、身体が起こせない、頭が重いという症状が出始めます。

元々朝が弱い夜型人間だったので「夜更かしのせいかな」「自分に起きる根性が足りないのかな」と、さほど問題視していませんでした。

また、バイトの帰り道など、突然無気力、思考停止状態になってしまい、家まであと数分とわかっていても座りこんだまま1時間近く身動きがとれないということもよくありました。バイトの帰りが深夜で、この症状もでるため帰るのがさらに遅くなり、悪循環が続いていました。


23歳のころ(大学4年)、大学卒業も視野に入ってきて、朝辛いながら大学に通い、卒論も提出。残り半期の授業であと14単位(7科目)が取れれば卒業できるという段階でした。しかし、どうしても朝、身体を起こせず、頭が重く、学校に行けませんでした。結果、留年をすることになりました。

同級生のみんなと一緒に卒業できないことが、本当に悔しかったです。


【自身の異常の自覚】
24歳のころ(留年1年目前期)、身体の状態は一向に変わらず、それでも自身に病気という自覚がないため「自分はなんでこんなに朝弱いんだ」「朝起きる覚悟が足りなんじゃないか」と、自責の念だけが積み重なっていきました。留年をもってしても、残りの14単位をとることができませんでした。学費を出してもらっている親にも申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

「留年までしてるのに、たった14単位がどうしても取れない。夜、どんなに気を引き締めて寝ても朝起きれない。」「ただ朝弱いというだけでここまで頭が重く、痛くなるだろうか、身体が重くなるだろうか」と、自分の身に起こっていることへの異常性を、留年という形で実感しました。

地元の内科に行き、検査をしましたが数値的に異常はなし、心療内科を勧められました。

その心療内科で初めて、自分の身に起こっている症状が「典型的なうつの初期症状」だと言われました。

「自分がうつ!?」と、何より自分が驚いたことを覚えています。思考はいたって前向きで、明るい性格だったためです。自身がうつ病の認識を勘違いしていました。

うつの症状は多岐に渡り、人によって症状の出方が違います。自分の場合は、当時、身体への影響が大きく出ていました。


【治療を始めるも挫折】
24歳後半(留年1年目後期)、処方された薬を飲みながら学校に通っていましたが、症状は一向によくなりませんでした。また、続けていた通院先も先生との問診が合わず、通院をやめてしまいました。薬も飲まなくなり、結局学校にもほぼ通えなくなってしまいました。



【休息に専念することを決断】
25歳のころ、とにかく一度ゆっくり休むことにしようと、大学卒業を諦め、バイトもやめ、通わせてもらっていたボイトレもやめ、一人暮らしをやめて実家に戻り、とにかく好きなことをしながらゆっくりすることにしました。


【突然、緊張の糸が切れる】
26歳のころ、家でゆっくり好きなことをやっていました。音楽活動をしていたので、自宅からストリームライブ配信などをしていました。
しかし、そんなある日、糸がプツンと切れるように、自分の中で何かが突如ストップしてしまいました。その一瞬、「あ、なんか、、だめだ、、おかしい、、」と思ったのを覚えています。

考えることもやめ、動くこともやめ、そこから全てが停止してしまいました。

この時、SNSやメール連絡をはじめ、人と関わることを全て遮断した状態になってしまいました。家族も含め、誰ともコミュニケーションがとれない状態でした。


【最も酷かった時期】
そこからが地獄のような期間となりました。
心が動かない、感情が機能しない、身体も動かない。起きては布団の中でボーッとして、寝る。毎日がそれの繰り返しでした。
家で親と顔を合わせても、心が機能していないから言葉も交わせない。
空っぽの人形になったような感じでした。

たまにふと思うことといえば、「消えてしまいたい」とか、「このままずっとこうして過ごすんだろうな」とか、「お父さんとお母さんはきっと自分より先に死んじゃうんだな」とか。


そんな期間が約半年。本当に人形のような期間でした。自分が自分じゃないような感覚でした。

嬉しいや、楽しいという感情はもちろん辛い、苦しい、悲しいという感情すら芽生えない状態でした。


【変化が現れる】
ある日、「このままじゃ嫌だな」と思い、感情を取り戻したいと、ふと思いました。


自分は何が好きだっただろう、何をしているときに楽しいと感じていただろう、と思い、最初にやったのが「ゲーム」でした。

最初は無心で、ただ手だけが動いていたような感じでしたが、日に日に「今日はここまで進んだ」とか思いながら、小さな達成感を感じていました。

それからしばらく、起きてる間はひたすらゲームをして、眠くなったら寝るという生活を続けました。


ゲームは居間にあったので、昼夜こそ逆転していましたが、居間にいる時間が増えました。

居間ではゲームの合間に、チャンネルを回して、テレビをぼんやりと眺めることもありました。


ほとんどが、ただついてるものを眺めているだけでした。しかし、アーティスト同士が音楽について語り合っている番組がやっていて、不思議と「何かを考えている、思っている」自分がいることに気づきました。また、「コヨーテアグリー」という女性シンガーソングライターの人生を描いた映画がテレビでやっていて、そこでも不思議と何かをすごく「思って、感じている」自分がいることに気がつきました。


また、その頃開催していたのが「ロンドンオリンピック」でした。ぼんやりと数日間眺めていて「スポーツっていいな、楽しそうだな。」と思いました。

次第に身体を動かそうと、早朝、公園でラジオ体操をしたり、ほぼ知っている人がいないようなグループのバスケに参加したりするようになりました。


【治験を通した医師との出会い】
ゲーム、運動、と少しずつ好きなことが蘇り出し、新しいゲームなど欲しいものが出てきました。しかし、お金を稼ぐ手段がなかったので、今の状態でも収入が得られそうなものをネットで調べていました。その中で見つけたのが「うつ病の治験募集」でした。

正直、治験は合う合わないがあるものなので、100%おすすめしたいものではありません。しかし、結果的に自分にはこれがいい選択になりました。

月に一回程度の通院で、1回1万円がもらえ、なおかつちゃんとしたお医者さんに症状を診てもらえる。また、自分の場合、処方された新薬の副作用も少なく、メリットばかりの治験生活となりました。そのため、通院中も苦にならなかったように思います。

何より、ここで出会ったお医者さんが、後に完治までの道のりをサポートして下さることになったので、この出会いが病気改善のとても大きな分岐点になったと言えます。


【音楽活動への復帰】
27才のころ、治験に通い、好きなバスケやゲームを楽しみながら、親しい友人とも交流できる程度には状態は良くなっていました。

人と交流できるようになり、多くの人に感謝できるような自分になっていました。27才の年末(2013年)、「みんなと忘年会的なことをしたいな」と思い「BNK2013」というイベントを企画しました。

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この当時、自分の中には「音楽活動にも復帰できたらいいな」という思いがありました。

イベントでは音楽をやる人が演奏したり、DJをやったり、一言ずつ来年の抱負を語ったり、本当に楽しいイベントになりました。この場所が、自分にとっても弾き語り復帰の舞台となりました。

「忘年会」というハードルの低い舞台が、復帰の最初の一歩としてスムーズに戻るためのとてもいい機会になりました。

以降、現在もこのようなイベントを半年おきに開催しています。



翌年(28才)は、負担にならない程度にライブに少しずつ出させてもらうようになり、同年2014年の秋頃には過去に通わせて頂いていたボイトレに再度通わせてもらえることになりました。これに関しては姉の応援が本当に大きな後押しになりました。

契約もある中で突然辞めることになった自分を、何も言わずに再度受け入れてくださったボイトレの先生には本当に感謝がつきません。



また、この時期には、現在も引き続き勤務させて頂いているWEBサービス会社にアルバイトとして採用してもらえることになりました。社会復帰も自身にはとてもハードルが高いものでしたが、当時まだベンチャー企業だったこともあり、自由だった社風と社内の仲間たちに恵まれ、すんなりと社会復帰させてもらうことができました。

採用してもらえたときの感動は、今でも覚えています。


29才のころ(2015年)、月1回のライブをやると目標を立て、音楽活動に取り組める程度に体調、心境が落ち着いてきました。無事、この目標は達成し、アルバイトと音楽活動をしながらの生活が、自然と送れるようにまでなりました。この頃にはもう自分にも自信がつき、症状に苦しむことはほぼありませんでした。


【完治を迎える】
30才を迎えた5月26日、治験時代からずっと関わってくださっていたお医者さんのもと「完治」の判断を頂きました。







ずっと自分と、また病気と向き合い続けた10年間でした。ずっと逃げることはしませんでした。
そのとき、その当時なりの自分でではありましたが、自分の身体や病気に対して向き合って、「必ず治る日が来る」と信じていました。


病気と共に歩いてきた10年間は悔しい思いもいっぱいありましたし、他の方と同じように暮らせないことがもどかしく、惨めな気持ちもありました。

でも、それらがあったから「自分って一体何なのか」「自分はどう生きていきたいのか」「自分にとって本当に大事なものはなんなのか」、そんなことを考え、その答えをその都度、見出してくることができたのだと感じています。



病気の最中は本当に先が見えません。おじさんになっても、おじいさんになっても、こんな生活が続くんじゃないかと思うと、何も希望を見出せなくなります。

しかし、うつ病は必ず治ります。完治を諦めなければ、必ず治ります。
本人が完治云々を考えられなくなる時期もあります。しかし、周りの人たちが諦めず、焦らず、本人を信じて支えてあげれば、絶対に本来のその人の姿まで戻ってきます。


うつ病の当人は真っ暗闇の中でコンパスも地図も持たず、ただ薄っすら見える光を追いかけているような状態です。まさに暗中模索です。
本人でも、自分が自分ではないみたいに、嫌な性格に陥ってしまっていることもあります。しかし、それは病気の症状です。脳内の分泌されるべきものが正常に分泌されずに、そうなっているのです。

どうか、周りで支えて下さっている皆さまは、暖かい心でそばにいてあげてください。そして、時に道標になってあげてください。諦めないでいてあげてください。



長文になりましたが、私がこうして完治までたどり着けたことも、全て周りの方々の支えがあってこそと感じております。
改めて、感謝申し上げます。ありがとうございます。

この記事を通して、うつ病と闘う方への理解が進み、うつ病と闘う方への励みになればと思います。


長文、お読みいただきありがとうございました。今後とも筒井渉をよろしくお願い致します。