WORLD,YESNO,ラベル | DIARY☆221

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221の内側と音楽の話。
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哲学的なお話に触れるのが好きだ。


だけれど、触れるばかりの頭でっかちで、
まだまだ、自分の足で僕の生まれてきた世界を見れてはいない。


ずーーっと、足元の周りの世界を、まるで世界の全てみたいに思っていたみたい。




僕は、思ってもみないような角度から世界を見ている人と話している時間が好きだ。

新しい世界が、自分の中になだれ込んでくるような、そういう感覚になる。



一方で、僕は、話していても全然おもしろくない人がいる、ということにも気づいてしまった。

これまでは、自分で楽しいと錯覚させていたんだと。
そういうことにも気づいた。


その場を楽しもうとする気持ちは大切だと思ってきたけれど。
それ以上に大切なものがあるね。



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全然賛成できないことに、「同意」することは、自分の心に矛盾が生まれる。


自分の心に矛盾する選択は、自分ではないものに一歩近づいてしまうことかもしれない。


しかし、賛成できないものに「NO」と言い続けることは、それはそれで心の中に矛盾が生じる。

「NO」は対立を生む言葉でもある。


僕は、対立を好まない。



しかし、僕は長いこと、賛成したくないものに無理に「同意」を示しすぎた。
心の矛盾は、その期間に大きく大きく広がって、自分は丸々半分ぐらい、自分じゃないものになっていたように思う。


無理に「同意」もしないけれど、わざわざ「NO」とも言わない。そういう選択肢もある。
平和的で、なおかつ自分を譲らない選択。




もしどうしても答えを求められたら、「NO」と言うけれど。



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人は見えないラベルを自分に貼り付けて、生きているのかなぁ。

無意識の中で。


「お母さん」
「会社員」
「優しい人」
「いい旦那さん」
「大人」

とか。
そういう幾つかのラベル。


自分からラベルに合った人になっていこうとするし、
ラベルに合った生き方をするのが「普通」という感覚になってくる。

それがあるから、人に認められ、安心して生きていけるのかもしれない。




一般的なラベルを拒否する生き方は、とても大変だと思う。
人に理解されにくく、仲間意識もなく、孤独だろう。


それでも、本当に自分に必要なラベルだけを、明確に張り出しながら生きる姿こそ、最高にかっこいい姿だと思う。



今の自分にはいらないラベルがベタベタと、貼られすぎている。