私は手紙に愛着を持っているが、SNSのほうが優れていると思う点が一つある。それは送信記録が残ることだ。

手紙は現物を相手に送ってしまうので、下書きやコピーを手元に残さない限り、書いた記憶が時間とともに消えていく。

まして30年前の手紙となると内容を思い出すのは困難だ。そもそも彼女に出したことすら、私は覚えていなかったのだ。

 

しかしこのときの自分がどういう手紙を書いたのか、どうしても知りたい。コピーがない以上、彼女の返信から逆算するほかない。【6通目】 

手がかりとなる箇所を抜き出してみる。

 

✔ 残ったのは「もう二度としてはならない」という気持ちでした。●●さんも同じように思っていてくれるみたいで、それが唯一の救いです。

 

✔ けじめを付けたかったのは私も同じです。

 

✔ ●●さんも手紙くれるほど気になっていたとは思いもよらなかった

 

✔ ●●さんが私をひとりの友人として見ようとしてくれてることを嬉しく思います。

 

これらを総合して、自分が手紙で書いた内容を推測した。

 

・彼女を傷つけたことを後悔しており、今も気にしていること

・自分のしたことのけじめとして、なぜそのような行動をとったのかを率直に説明し、謝罪したいこと

・もし許してくれるなら、これからも友人として接してほしいこと

 

この推測が当たっているなら、21歳から22歳の間に、私も少しは「成長」したと言えるのではないだろうか。留学前は一通も返事を出さず最後はシャットアウト同然の振る舞いをした自分が、みずから謝罪を申し出た。留学先でやつれるほどの苦しい片思いを経験したことで、ようやく彼女の悲しみや絶望の深さを理解できたのかもしれない。

 

一年間の交換留学で学んだ語学は、帰国後数年ですっかり忘れてしまった。留学先で学んだのは語学ではなく、人の痛みの実感だった。

 

 

もう一つ、帰国後の言動で非常に気になることがある。

 

でもね、□□寮(当時私が住んでいた寮)で●●さんが「真剣だった」と言ってくれてすごく嬉しかった。一番聞きたかった、そしてずっと待っていた言葉だった


「真剣だった」の意味は、「告白されたときは、彼女のことを真剣に考えた」と解釈するのが自然だろうし、聞いた彼女が心から安堵したのも説明がつく。それにしても核心的な吐露だ。おまけに自分の寮で。まさか彼女一人で来たのではないと思うが、直接そのように伝えた動機は、過去への罪悪感だけだろうか?

 

このころの自分の心理を知りたい。1996年の1年間だけ付けていた日記のことを思い出し、家中を捜索した。