留学という物理的な隔絶を経て届いた6通目の手紙。5通目では「追いつきたい」と健気な叫びを綴っていた彼女から、「過去のことにするには十分すぎる月日でした」という冷徹な一文が突き付けられる。この落差が、青春の残酷さと時間の不可逆性を際立たせている。

 

彼女の心理の変化は、まず手紙そのものの質感に表れていた。5通目までの封書はいかにも丁寧で、おそろいのデザインをあしらった便箋と封筒に入れられていた。しかし6通目は、左側にパンチ穴が二つ空いたルーズリーフ2枚に書かれ、十字折りに畳まれて封筒に入っていた。文体やトーンは変わらず丁寧だったが、書き損じた部分は黒く塗りつぶしてそのまま差し出されていた。手紙は読む前から視覚や触覚で差出人の熱量が伝わる。LINEには到底できないことだ。

 

文面からは、1年の間に「依存」から「自立」へ完全に移行した彼女の姿が伝わってくる。「日常のすべてが私だった」彼女が、自分が不在の間に「1人で生きる」すべを身につけてしまっていた。手紙を受け取った私は、取り残されたような気持ちだったに違いない。

 

私には、留学という物理的な距離ができて良かった。

離れてみて、やはり●●さんにとっては迷惑でしかなかったんだと痛感しました。

私の存在をきっぱりとなくし、望みはないことを分からせてくれたことで、今の自分があるのだし

 

私が日本を離れたあとも、しばらくは手紙なり何らかの期待をしていたことがうかがえる。しかし留学中に私は連絡しなかった。私への未練を断ち切り、新しい彼氏ができるまで葛藤したことが行間から読み取れる。(それにしても、留学先から絵葉書の一枚すら彼女に送らなかった自分に今更ながら愕然とする)

 

 

 

真剣だったと言ってくれてすごく嬉しかった。過去の自分にようやくサヨナラできた

 

私の「真剣だった」という一種の承認は、彼女にとっては「長い答え合わせ」の終了を意味したのだろう。彼女はこれを再接近の切符ではなく、私を美しく過去に葬るための「供養の言葉」として受け取った。

私は留学を終えて、今なら彼女に誠実に向き合えると思い、満を持して「真実」を伝えたのだろう。しかし彼女にとっては「ようやく終わらせるためのピース」に過ぎなかった。何とも皮肉である。

 

 

けじめを付けたかったのは私も同じです。

手紙くれるほど気になっていたとは思いもよらなかった。

自分が選択したことは、自分で責任をとりたい。自分の人生だから、誰かのせいにはしたくない。それだけです。

 

彼女への罪悪感を吐露したであろう私に対して、交際相手がいる人を好きになったのは自分の選択なのだから、傷ついたのも自分の責任。あなたのせいにはしないと言っている。彼女の優しさでありプライドだろう。

 

 

 

残ったのは「もう二度としてはならない」という気持ちでした。

いいかげんな付き合いはまっぴら

ひとりの友人としてみようとしてくれていることが嬉しい

 

かつての自分たちの関係を「いいかげんな付き合い」だったと表現した。あなたへの恋愛感情はすでに過去のものであり、今は彼氏もいる。友人以上の関係に進む気はないと、言葉を選びながらもはっきりと線を引いている。

 

 

 

お手紙ありがとう。

 

6通目の何よりも大きな特徴が、私に対する返信の体裁を取っていることだ。5通目まではすべて彼女が起点であり、どれにも私は返信しなかった。しかし今回は私からボールを投げていたのだ。しかもその前に自分の寮で会い、「真剣だった」と伝えていたとは。

 

私は彼女に、一体どういう手紙を書いたのだろう?