私は大学最終年だった1996年、1年間だけ日記を付けた。就職活動の記録を残したいと思ったからだ。
日記であれば就活以外のことも書いてあるだろう。彼女の6通目の前後にどういう接点があったのか、私はどういう心理だったのかを見つけたくて、30年ぶりに日記を開いた。
彼女の6通目は4月30日付だった。その前後のページをめくると、確かに探しているものがあった。
すでに就活が本格化していたのか、企業名が頻出している。今となっては意味の分からない箇所もある。とはいえ予想以上に知りたいことが書いてあった。
・私は会社訪問の合間を縫って彼女へ手紙を書き、4月25日に投函した。
・彼女の返信は30日付なので、受け取って数日内に返事を書いていた。
・私は孤独感と自己嫌悪に苛まれながら手紙を書いた。今さら誠意を示しても彼女は受け入れないだろうと半ば諦めていた。
・それだけに、彼女から長文の返事が届くと「穴の空くほど」読み返した。
24日の自分自身への罵倒は激しい。相手を傷付け、放置しておきながら、いざ自分が孤独になると初めて手紙を書いてみせる。すでに彼女は彼氏を得て新しい生活に踏み出しているというのに。そんな己を虫の良い、身勝手な人間だと卑下し、なじっている。
私は「友達になりたい」と手紙に書いたようだが、本心ではなかっただろう。日記には「淋しがっている自分に誰が寄ってくるのだ」と満たされない欲求を赤裸々に書いている。実際はもっと切実な感情があったが、罪悪感と自信の無さゆえに彼女の立場を無視して好意をぶつけることができなかったのだと思う。友達という綺麗な言葉で彼女への執着を包み隠している自分を見透かし、その「偽善」に対して激しい嫌悪感を抱いたのだ。
しかし、「甘ったれるな」と日記で突き放しても、「淋しがっている」私は彼女に甘えた。醜い己を自覚しながら、彼女に救いを求めずにはいられなかった。
なので、日を置かず彼女から長文の返事が届いたときには嬉しかったはずだ。彼女は「傷つけられた側」でありながら、自己嫌悪に満ちていたであろう私の手紙を正面から受け止めた。彼女の手紙は実は6通目が一番長い。改めて読むと、21歳にして単なる「優しい女性」という言葉では収まりきらない、精神的な強さと慈愛を兼ね備えていたことに驚く。
探しものはもう一つある。手紙の前に、寮で彼女に言ったという「真剣だった」発言だ。どういう状況だったのか。日記を4~5月からもう少しさかのぼってみる。