次男の場面緘黙症に気づく前ー0〜3歳ー | 場面緘黙症(かんもく)の幼稚園児 〜アメリカの幼稚園での記録〜

場面緘黙症(かんもく)の幼稚園児 〜アメリカの幼稚園での記録〜

場面緘黙症(Selective Mutism)を持つ年中(4歳)の男の子の記録です。アメリカの幼稚園に通っています。緘黙症について完全に無知だった私。場面緘黙症の兆候、診断、その後を綴っていきます。音楽と楽器が大好きな男の子です

場面緘黙症の徴候と言いますか、いくつか引っかかった点を箇条書きでまとめておきます。


0歳
・次男が生れたばかりのとき、悲鳴のような鳴き声で、担当医師と看護師さんに驚かれた。(予定日よりも3日遅く生まれました)

・赤ちゃんの頃から、何もない時は無言でおとなしく、まるで石みたい…と密かに思っていました。(長男くんのことで忙しかったので次男くんには手が回っていなかったのも事実ですが)

・ただし、泣き叫ぶ時は本当に大声で、張り裂けるほどでした。

・あの頃から、大きな音が苦手で、次男が赤ちゃんの時に日本に帰省した時は、バギーでお散歩している横をバイクがヒューと通り過ぎるだけで泣きわめき、もうどうにもなりませんでした。鳴き声がひどかったのです。

・日本では実家で生活させていただいていたのですが、環境の変化を嫌い、はじめの1週間ほどはずっと叫ぶほどの夜泣きでした。(近所に迷惑にならないように…と考えすぎて私がノイローゼ気味になるほどでした)

・この頃から人見知りが激しすぎ、私の両親にさえも懐きませんでした。すぐに泣いてしまい、悲鳴に近い状態でした。(私と旦那さん以外には本当にだれにも懐きませんでした)

・親戚や近所の人が声を掛けてくれただけで悲鳴を上げてなく次男でした。

・そんな次男でしたので、「かわいいね」と声をかけてくださることが、覚えている限りたった一回です。(それに比べて長男は天真爛漫、八方美人なので、だれにでもニコニコ、そしてだれとでもおしゃべりできるので、いつもいつも「かわいいかわいい」と言われて育ちました)

・次男は赤ちゃんの頃から、表情が無表情に近い感じになることが多く、そのような顔つきの写真もチラホラ残されています。

・旦那さんの両親にも全く懐かず、特に次男の祖母には懐きませんでした。

・歯が生えるんが早かった

・9ヶ月か10ヶ月で、鼻歌を歌うようになっていた。(長男の楽器のお稽古でいつも聞いていた練習曲でした。)



1歳
・かんしゃくが酷かったのを記憶しています。
・歩き始めるのが非常に早く、10ヶ月でつたい歩きからすぐに歩けるようになりました。はいはいは、ほとんどしませんでした。
・メロディを覚えるのが早かったのを記憶しています。長男の楽器の練習曲を毎日聞いていたためでしょう。
・1歳の時もずっとだれにもなつかず、スーパーのレジの人などに声を掛けられたら顔が青ざめていました。


2歳
・週一回のリトミック教室に通い始めましたが、いつも行きたくないと号泣。でも、ついたら泣き止み、やっぱり行くだの、行かないだの優柔不断に。教室に入れば、逃げるように隅っこに移動。みんなとの活動には一切参加せず、輪の中にも入らない。でも、集中してずっと静かに観察していました。

・そのリトミックでは、お歌も踊りも参加しませんでしたが、家に戻ってからそのお歌を口ずさんだり、踊ったりしていました。全て記憶していたようです。

・みんなが楽しそうにしている時は、つまらなさそうな表情でじっとしているため、私も諦めて半年ぐらいでリトミックに通うのを辞めました。

・2歳の頃から、「固執」が激しかったと記憶しています。食べ物であったり、道順であったり、物の順序だったり。

・旦那さんの方の祖父母へはまだ懐いていませんでした。おもらしも、便を包むのもしていました。

・ちょうど2歳半頃に、家の近所で工事が始まり、それがきっかけで、標識や工事現場などのサイン、工事現場の黄色と黒のテープやロープなどに異様に凝るようになりました。それが現在(4歳9ヶ月)にもずっと続いています。

・この頃は本当に取り憑かれていたような感じで、特に工事現場のいたるところに置いてある標識やサインを直接近くまで行って見たい、とせがむようになり、毎日毎日、工事現場の標識の前でずっと佇んで眺めていました。


3歳前半
・3歳ぐらいからやっと旦那さんの方の祖父母になつくようになったのですが、言葉を使わないことに気づきました。そして、義父母の家に行くと必ずトイレに行けず、おもらしとウンチをパンツにしていました。

・標識への異常な興味は引き続きあり、道を通るたびに全てどんな標識があったか記憶するようになる。

・標識を見つけて眺めるのが楽しみになった。

・そんな中、3歳になった直後に途中入園をする。(満三歳児)

・強烈な母子分離不安で、登園は本当に毎日地獄でした。でも、先生がさっと喚き散らす次男を取りあげ、さっと私の元から離れてくださったので、先生曰く、2分ぐらい泣いて終わりですよ、と。

・それでも、朝の園庭でのお遊びには参加せず、誰とも遊ばず、園庭の遊び場に足を踏み入れることがなかったようで、その時は毎日先生が次男の手をつないでグルグルと園庭をお散歩させてくれていました。(そこに心優しい園児たちが次男の手をつないで一緒にお散歩してくれました)

・3歳から3歳半の途中入園生活はこんな感じで、毎日嫌がり泣きわめきの繰り返し。教室内では、他の子供達の様子を見るだけに徹していたよう。

・おやつの時間があるのですが、絶対に一緒に食べなかったようです。また、トイレも行かなかった、と。さらに、次男の園はモンテッソーリ園であるため、手洗いを教室内で子供サイズの容器を利用してするのですが、それも絶対しなかった、と。

・必ず意地悪な感じのクラスメートというのがいるもので、次男のように何も言わない、何もしないお友達のことを忌み嫌がる子がいました。実際に、私に「どうして⚪︎⚪︎は私のクラスにいるのうよ?他の学校とかにはいかないの?」と宣う女子もいました。これには私も相当傷つきました。

・決して迷惑をかける子ではないのですが、何もしゃべらないで登園拒否気味でしたので、何人かの子供達からは嫌味を言われました。(親の私に言ってきます)

・それでも心優しい、本当に素晴らしい子たちもいて、そんな次男の登園を手伝ってくれる子が毎日いました。手をそっとつないでくれて、「いこ!」と。そしたら次男も安心して園庭に入っていけました。本当にその子たちには感謝しています。きっとお母様がきちんとそのお子さんにお話をされていたのもあると思います。「お手伝いしてあげましょうね」と。私もとても学ばせていただきました。

・次男がクラスでほっぺをかまれる事件がありました。緘黙がひどかった時ですので、何も反応しない次男に痺れがきれたのか、ほっぺを噛みに来た子がいました。先生はとても済まなさそうに私に伝えてくれましたが、その子は元々すこし暴力的なので・・・と。結局、その子は次の年から学校を変えています。


3歳後半
・新しく年少さんになった時、クラスを変えてもらいました。
・それでも緘黙がひどく、声は一切出しませんでした。
・おやつも食べませんでした。
・園庭で遊ぶ時も、誰とも交流せず一人で遊んでいました。
・ただ、さようならをいう代わりに、先生に手を振るようになりましたよ、と先生が嬉しそうにおっしゃってくださいました。
・家でも、お友達の名前などを聞いたことがなく、誰も友達がいなかったようです。(それでも、そんな感じの次男のことをとても好きになってくれた女の子がいて、学校についたらいつも⚪︎⚪︎!と走って駆け寄ってきてくれる女の子がいました。が、次男は無表情で一言も話しません。でも、園庭では無言で一緒に遊んだりしていたようです)
・そんな次男でしたが、集中力がすごいと先生からお褒め頂きました。また、能力が高い、とも言われました。(しゃべりませんが。)また、みんなで先生のお話を聞く時間もきちんと座って集中して聞いているし、取り乱したり、歩き回ったりすることもなく、いわゆる優等生。それに、なんでも自分でささっと済ましてしまえる、手のかからない子、と。

・ただ、はじめの懇談で、「この子はまったく話をしないのは何か理由があるのですか???」と非常に真剣な顔で先生から尋ねられたことが今でも忘れられません。その時は私も旦那さんも、「ただ時間がかかるだけだと思います」しか答えず、私たちもそんなに深刻な症状だとまったく認識していなかったからです。でも先生は腑に落ちない感じでしたので、それもまた私の心に引っかかっていました。先生というのは、幼稚園であれば、親が認識しない限り、障害があるのではないのですか?などを軽々しく言えないようですので、先生もきっと言いたい気持ちを抑えて何も言わなかったのでしょう。今となっては、そこで私たちも気づくべきでした。

・3歳前半と違って、3歳後半では園に行くのを渋ることがなくなりました。でも、長男と一緒に登園、登校できるから安心できるのであって、一人で登園するのはかなり嫌がります。(兄弟はいく学校は、私立で、幼稚舎~中等部まである小規模校です)


4歳~現在についてはまた次にアップします。