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2023年10月 肝転移ありの大腸がんステージⅣと診断
2023年11月 抗がん剤治療(XELOX療法)開始
(現在23サイクル目)
2024年1月 腸閉塞回避のためストーマ設置
2024年3月 XELOXに加えアバスチン投与開始
2024年夏 北米から日本に帰国。それに伴い転院
2024年9月 頭蓋骨転移発覚
2024年10月 頭部放射線治療終了
2024年12月 XELOX療法からIRIS療法へ変更
2025年1月 イリノテカンのみへ変更
2025年3月 背骨転移発覚
引き続き入院中です。痛みは鎮痛剤の点滴でコントロール。
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パソコンは病院に持参したが、起き上がって記録をつけること自体がなかなかできなかったので、LINEのメッセージ記録が貴重な資料になった。
3月15日(土)
既にあまり記憶がないのだが、多分、朝起きたは良いがあまりの背中の痛みに耐えられず、リビングまでは行ったものの洗面所には行かず、着替えもせずビーンバッグに横になり、これでは起き上がれないなあと思っていたところ、夫が起きてくる。
私の状況を知った夫が病院に電話で相談したら、救急車を使ってすぐに来てくださいと言われる。確か玄関までは歩いて行き、そこから救急隊員の方たちにストレッチャーで運ばれたのだが、入院に備えて荷物を自分で用意したのか夫にお願いしたのかは覚えていない。
長男はその日は早朝からスノボに行っていたので、もう家を出ちゃっていて良かったなあと思ったこと、ご近所さんびっくりしてるだろうなあと思ったことは覚えている。
病院に着くまでは周りの状況も救急車の車内も覚えていないのは、痛み止めで少し朦朧としていたことと、痛みで目を瞑っていたから。
メールを読み返して初めて思い出したが、既に13日の夜から痛みは始まっていて、13日と14日にアップしなければいけなかった仕事を、他の誰かにやってもらってほしいと取引先に打診していた。
(前回のブログには、キモセラピーの後に食べたものを戻してしまったがその後は元気だった、なんて書いていたが記憶なんていい加減だ。修正しておいた。)
結局その後、病気のことを取引先担当者に話し、しばらく休ませてもらうことにしてもらった。人手がないことは知っているので、ヘルプに入れそうになったら入ります、と伝えてある。
3月16日(日)、17日(月)
基本的には、18日の内視鏡検査を待つのみで、痛み止めを飲むくらいの処置しかできない。カロナールなどの飲み薬で対処したが、即効性がないので、途中からオピオイド系の麻薬オキシコドンの点滴に切り替わった。
あまり覚えていないが、多分この日までくらい、出てくる食事は全く食べられなかった。それは食欲云々ということよりは、痛くて起き上がれなかったからというのがほとんど。
痛み止めを沢山処方されているので、寝ていて食事が届けられたことに気が付かないか、起きていても起き上がれないので食べられない。十二指腸潰瘍の疑いがあったので全粥食になっていたが、そうなるとお茶碗とスプーンを持たなければいけないから尚更無理。
家族がおにぎりやサンドイッチを買ってきてくれたが、その状況では食欲も出ず、一日1個食べられれば良い方だった。
3月18日(火)
十二指腸潰瘍の疑いがあったため、この日は元々入れていた内視鏡の検査。皆が苦手と言う胃カメラ検査だったが、寝ていてあっという間だったし、気持ち悪かったかどうかすら全く覚えていない。それよりも、検査のたびにストレッチャーや車椅子からベッドへ移動する方が辛い。
検査の結果、十二指腸潰瘍でも胃潰瘍でもなかったことが判明。
そうなったら、やはり疑われるのは骨への転移。
昨年9月の頭蓋骨への転移の際、頭痛に関しては二ヶ月くらい言い続けたのに取り合ってもらえず、やっとMRIを撮ってもらったら転移だったことが判明した、という経緯がある。
今回も1月半ばから背中の痛みを訴え続けていたが、取り合ってもらえなかった。もし同じパターンだとしたら、これはかなり問題。家族も同じことを言う。
セカンドオピニオンを求めるというのではなくて、病院内で担当医を変えるということは普通に可能なことなのかなど、知り合いの医者などに相談し、可能なことだしきちんと伝えるべきだという意見を(人によっては当の担当医に伝えるべきだという意見も)もらった。
3月19日(水)
採血や点滴や脱水症状回避やら何やかやで腕に針を刺す機会が多かったが、良い血管がなかなか見つからないので、カテーテルを使った皮下注射という形を取ることに。そして新たにCTを撮る。
十二指腸潰瘍ではないということになったので、食事は寝ていても食べられるようにおにぎりにしてもらった。が、味なしのただのおにぎりだったので、これはこれで食べられない。長男がおにぎりにゆかりをかけてくれたので、やっとなんとか食べられた。
まだアメリカにいた頃、抗がん剤の副作用で食欲が落ちた時にゆかりごはんとM&M’s、ポテトチップスしか食べられない時期があったが、今回はゆかりご飯だけの時期が続いた。
それも痛みで完食はできず。また、痛みで歯ブラシも出来なかった。
トイレなどはなんとか一人で大丈夫だったので助かった。まあ、回数もかなり減っていたが。シャワーを浴びられたのはずっと後。
3月21日(金)
MRIを撮る。
母は私の入院間もなく飛んできてくれて次姉の家に滞在し、毎日面会に来てくれた。病院は都心にあり、姉たちの勤め先も夫の勤め先も、春休みでも大学に行くことが多い長男の大学も近いということで、みんな頻繁に面会に来てくれる。面会の度に自分が体の中から元気になっていくのが分かった。長男はほぼ毎日来てくれたのではないだろうか。本当に有り難い。
面白いのだが、最初のうちは私が動けないので、面会禁止のはずの4人部屋で「少しだけ、小声でなら」という条件で面会させてもらえていた。
私が動けるようになったら、看護師さんが車椅子で面会室に連れて行ってくれたのだが、背中が痛いので車椅子に座っていられず、ストレッチャーに変更。
何度かストレッチャーに寝転がったまま、しかも背中が痛いのでちょっと斜めに横向きになったまま面会(笑える光景)したのだが、これじゃああまりにも体が辛いだろうと(多分、長話しすぎている私達がいけないのだが)、病室のベッドごと面会室に移動してもらえるようになった。
24日には椅子に座れるようになったので、普通に歩いて面会室に行くことができるように。
3月24日(月)
入院してからは、担当医のJ先生ではなく、もうひとりの担当医M先生(入院して初めて会った)がいろいろと説明をしてくれることが多いのだが、この日も母と次姉との面会中に説明に来てくださったのはM先生。次姉が、私は勤務先も近いのでなにかあったらご連絡ください、と名刺を渡す。
その先生の見解としては、CTの結果を見てもMRIの結果を見ても、見解に大きな変化はなく、CTにはがんらしきものは映っていない、21日のMRIに写っている部分に関して言えば、転移も骨折もなく、痛みの原因はまだわからないとのこと。
痛みの場所を確認すると、MRIに写っている以外の部分に何かある可能性もあるとのことで、なるべく早く、写す場所を変えてもう一度MRIを撮ることにするという。
余談
この時にずっと処方してもらっていた痛み止めが「オピオイド系麻薬」。トランプ大統領も国外からの密輸という意味で問題にしているが、アメリカでは違法に出回っているオピオイド(フェンタニル)が若者の間で大きな問題になっている。それ以前から過剰供給に加担したとして薬局チェーン店が訴えられる「オピオイド訴訟」も起きているくらい、怖くてある意味有名な薬。次男の通った高校の生徒もこれが原因で亡くなっていたりしている。
アメリカのアスリートがオピオイド中毒になったきっかけが、怪我をした時に処方された痛み止めだったことが多いなどど聞いていたから、ちょっとドキドキしたが、日本でアスリートでもなんでもない中年女性に中毒になるほど処方されるわけないか。
♫ おまけの写真コーナー ♫
緊急入院となり、バタバタで荷物を用意する最中、夫が荷物に詰めていた猿のぬいぐるみ。
あの状態でこれを持っていくことに頭が回る余裕に、ムカッ腹が立 頼もしさを感じる。